邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究している(ペンネーム)湖台志郎です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B001)後漢書は魏志の要約ではない証明1「鉄鏃(てつぞく)の有無」

タイトルにあるように、「後漢書魏志の要約ではない証明」と補足の検証を行っていきます(タイトルのB001~は通番です)。

なお、邪馬台国論議を既にある程度深くご存知の方向けを想定していますので、一般的な背景説明などは省略が多くなると思います。

 

1回目は邪馬台国関連史書における「鉄鏃(てつぞく)」記述の有無に着目します。

魏志倭人伝」と「後漢書倭伝」に「漢書地理志 粤地」を加えて、「鏃(やじり)」記述部分を記します。出典は「漢籍電子文献資料庫」。()内は作者です。

魏志倭人伝陳寿):

兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃

後漢書倭伝(范曄):

其兵有矛、楯、木弓竹矢或以骨為鏃

漢書地理志粤地(班固):

兵則矛、盾、刀,木弓竹矢或骨為鏃

⇒各書成立の時期は、古い方から③→①→②の順で、③の「粤地(えつち)」は「海南島を含む中国南部」です。

 

記述対象年代が古い方から並べると以下になります。

前漢代(紀元前):「骨鏃」のみ

後漢代(紀元25年~220年):「骨族」のみ

①魏代(紀元220年~265年):「鉄鏃」と「骨鏃」

⇒古代の技術進歩で、殺傷力の強い鉄鏃が使用されるようになったのは歴史的事実です。

では、「鉄鏃の使用がいつ頃からか?」ということになると、倭において(③の前の)②の年代では既に鉄鏃が使用されていました。

例えば吉野ヶ里遺跡

博物館テーマ展示7「発掘された佐賀5‐鉄と吉野ヶ里遺跡2-」|佐賀県立博物館・佐賀県立美術館 (saga-museum.jp)

<鉄鏃    吉野ヶ里遺跡、その他複数遺跡で鉄器多数>

 

それにも関わらず、范曄は魏志倭人伝を見て、「鉄鏃」を削除するという「間違った方向の修整」を行った記述をしたのでしょうか?

それを考えるに当たって、范曄の立場を想定してみるとABの二択になります。

A:魏代の倭の習俗を知らない(まず間違いなくこれでしょう)

→知らないのだから鉄鏃削除すること自体を考えない

B:魏代の倭の習俗を知っている(仮定としてこちらも考える)

→知っていたら、鉄鏃は使われていたのだから削除しない

⇒ABともに「范曄は鉄鏃削除を行うはずは無い」ことになります。

その結果、「鉄鏃削除は①の要約として行われたものではない」ということになります。

「要約ではない」ことの一つの証明が出来たと思います。

 

証明の補強として、「何故②は「骨鏃」のみか?」という疑問も検討します。

それには③が重要になります。

後漢書倭伝

<土宜禾稻、麻紵、蠶桑,知織績為縑布。出白珠、青玉。其山有丹土。氣溫腝,冬夏生菜茹。無牛馬虎豹羊鵲。其兵有矛、楯、木弓竹矢或以骨為鏃 。男子皆黥面文身,以其文左右大小別尊卑之差。其男衣皆橫幅結束相連。女人被髮屈紒,衣如單被,貫頭而著之

漢書地理志粤地

民皆服布如單被,穿中央為貫頭。男子耕農,種禾稻紵麻女子桑蠶織績。亡馬與虎,民有五畜,山多麈麖。兵則矛、盾、刀,木弓竹矢,或骨為鏃。

→両書は赤字部分だけでなく、太字部分も構成や文言が良く似ています。

「②の記述は(①の要約ではなく)③の記述をベースにしたから『骨鏃』だけになった」という推測が出来ます。

また、この証明ではまだ納得がいかないという場合のために、次記事では別観点から証明を行います。

以上

[補足]

1.書写などでの「欠落」の可能性も検討

①の「竹箭或鐵鏃或骨鏃」から、例えば「或鐵鏃」が欠落しても、「竹箭或骨鏃」になって、②の「竹矢或以骨為鏃」と同じになりません。

また実際には三文字も欠落すること自体が考えにくく、一文字や二文字の欠落や写し間違いでは②のようにはなりません。

2.「石鏃」に関して

→武器としての威力は、鉄鏃>石鏃>骨族になります。

そのため、②の時代の倭でも主力は骨族ではなく「鉄鏃と石鏃」でした。

そして、①は更に後の時代ですから、骨族を削除して「鉄鏃と石鏃」にするのが当然になります(「銅鏃」は金属器として、ここでは鉄鏃に含めた話にしています)。

結果的に「陳寿の間違い」という着目点が生じますので、「石鏃」は別記事にして後日書く予定です。

追記以上