本ブログ第一回は「魏志倭人伝と後漢書倭伝」、第2回は両書の「(倭を除く)東夷伝」同士の比較を行って、「後漢書は魏志の要約ではない証明」を提示しました。
続いて、(裴注)魏志『烏丸鮮卑伝』と後漢書『烏桓鮮卑伝』も比較してみます。
先に結論を述べてしまうと、「要約ではない」証拠が明確に有ります。
両伝の冒頭部分を並べます。
「烏丸伝」は、裴松之が註をつけた「魏書」(王沈編纂)からの長い引用で始まっています。その後に本来の烏丸伝になります。
それに対して、「烏桓伝」は裴松之註の魏書引用相当部分も本文に含まれています。
つまり、魏志烏丸伝に全くない内容が、後漢書烏桓伝には大量に存在します。
そして、魏志鮮卑伝と後漢書鮮卑伝も同様の構成になっています。
陳寿の「烏丸伝」(「鮮卑伝」も)の構成は、魏志なので後漢代の出来事はあまり書かず、「後漢代のことは他の後漢代の史書等を参照して頂きたい」という意図と推察します。それを裴松之が後から註で補った。
結果的に「後漢書は魏志の要約ではない」ことの証明が、疑いようのない形で明確に存在することになります。
なお参考として、「王沈魏書引用」が膨大ですが、更に「後漢書は王沈魏書に無い内容も入っている」という特徴も有ります。
以下はその事例ですが、魏志の裴注「魏書」部分と後漢書の比較です。
「王莽」後から「建武二十五年」までの記述ですが、明らかに後漢書の方が記述分量が多いことが見て取れると思います。
内容的には両方に「馬援」将軍が出て来て、同じ時期のことを記述していますが、後漢書の方には王沈魏書に無い建武二十一年と二十二年の年号も有ります。
王沈魏書の原文がどうなっていたかは分かりませんが、裴注の引用部分に相当する部分は後漢書の方が情報量が多くなっています。
以上