昨日記事の「陳長崎教授」見解(5月15日訂正:これは陳教授ではなくブログ主さんの見解でした)
<今なお、5世紀に書かれた「後漢書」は3世紀に書かれた「魏志倭人伝」を参考にしたという珍説が定説がごとく述べられているが、江戸時代の歴史書を書くのに明治時代の歴史書を参考にして「江戸」を「東京」と書き間違えるだろうか?子供だましのような珍説奇説を学会を代表する学者が唱えているのである。>
→「江戸と東京」で思い出したのが、「京師と京都」。
「中国哲学書電子化計画」サイトで改めて調べてみたら、以下に示すように、「魏志は京都、後漢書は京師」と明確に分かれています。
1. 武帝紀:京都3箇所
2. 文帝紀:2箇所
3.明帝紀:7箇所
1. 光武帝紀上
2. 光武帝紀下
3. 顯宗孝明帝紀
4. 肅宗孝章帝紀
5. 孝和孝殤帝紀
6. 孝安帝紀
7. 孝順孝沖孝質帝紀
8. 孝桓帝紀
9. 孝靈帝紀
10. 孝獻帝紀
11. 皇后紀上
12. 皇后紀下
➡「魏志依拠」の通説だと、魏志の「京都」を後漢書では「京師」に書き換えたのでしょうかね???
ただし、その前に「後漢書の帝紀は魏志に無い」ので、通説の方々には「後漢代の帝紀はどこから持って来たのでしょうね???」とお聞きしたくなります。
「京師と京都」に話を戻すと、幾ら書換え箇所が多くても、「やろうと思えばできる⇒だからやったはずだ」という論法が出て来る場合が有ります。
それで本記事において、メモとして一番書いておきたいことは「可能性(possibility)と蓋然性(probability)」です。
◆「京都を京師を書き換えること自体は容易だから、それを実際に行った可能性も有り得るとは言える。しかし実際にそれが行われた蓋然性はどうなのか」
→「可能性と蓋然性」の原理的な解説サイト例を以下に示します。
この解説が全て正しいかどうかは別にして、このような解説自体はネットに沢山有ります。
しかし、我が国の場合は「蓋然性」という言葉を出さないのが一般的傾向のようにも思えます。そしてそれが論議を困難にしている気がしています。
ちなみに長崎教授見解を当方で解釈すると、”「魏志依拠」の蓋然性はゼロ”と言っておられると思います。そしてそれは当方も完全に支持です(実際は「後漢代の本紀はどこから持って来たか?」等を考えると、「可能性もゼロ」のレベルと考えますが、強固な通説の方々にも配慮して、今は「蓋然性はゼロ」としておきます)。
以上