邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B063)袁宏『後漢紀』序から分かること

吉川忠夫「范曄と『後漢書』」の続きを見ていましたら、袁宏『後漢紀』の序でも「後漢書を読むに煩穢雜亂・・・」という表現が有りました。

それで、原文を参照してみようと思い、hyenaさんサイトを見せて頂いたら、以下のようにありました。

袁宏『後漢紀』序

<予嘗讀後漢書,煩穢雜亂,睡而不能竟也>

煩穢:繁冗蕪雜 by 漢典。
雜亂:入りまじって、みだれる。

→また、この部分の「讀後漢書」は、「後漢の書を讀むに」と読み下しておられます

袁宏と范曄は、同じような史料を参照したと推測されます。

当ブログでも検討しました。

(B047)「後漢紀」と「後漢書」の比較

<「後漢紀」と「後漢書」の記述は基本的に合致しています。

よって、この両書は同一の原史料を参照した可能性が大きくなります。>

 

そして、このところ検討してきたように、袁宏や范曄の時代の前に、これも以下のhyenaさんサイトにあるように、西晋において「華嶠」が東観漢記を【刪定】して『漢後書』を表したものを、袁宏や范曄が後で参照したと考えるのが適切に思えます。

 

李賢は『魏志』を見ている!その37 - 「魏志倭人伝」への旅 ブログ版

<・・・嘉平中、馬日磾、蔡邕、楊劇、盧植は續けて『東觀漢紀』を為し、呉の武陵太守の謝承は『漢書』一百三十卷を作(な)し、晉の散騎常侍の薛塋は『後漢紀』一百卷を作し、泰始中、祕書丞の司馬彪は始めて衆説を取り、光武(帝)を首(はじめ)とし孝獻(帝)に至るを『續漢書』と作し、又散騎常侍の華嶠は『東觀記』を刪定して『漢後書』九十七篇を為し、祠部郎の謝沈は『後漢書』一百二十二卷を作し、祕書監の袁山松は一百卷を作す。宋に至りて宣城太守の范曄は諸家の作を十紀十志八十列傳、凡(およ)そ百篇に益集するも、十志は未(いま)だ成らずして(范)曄は被誅(ちゅう)せらる。・・・>

コトバンク

【刪定】さん‐てい
〘名〙 字句や文章などの悪い所を削ってよいものにかえること。刪修。刪正。


以上