前回記事に引き続き、「卑弥呼考」の検討です。 ✖⑥湖南氏の范曄に対する評価が後段になるほど酷い →「卑弥呼考」より引用 ”後漢書には、 建武中元二年。倭奴國奉貢朝賀。使人自稱大夫。倭國之極南界也。光武賜以印綬。 安帝永初元年。倭國王帥升獻生口百六十…
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