邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

(B068)李賢注『後漢書』における『東観漢記』出現数

「中国哲学書電子化計画」は検索機能が使いやすくできています。 それで”李賢注『後漢書』において『東観漢記』(李賢注では『東観記』)を検索”すると、出現箇所と出現回数の一覧が表示されます。(以下に添付...「維基」版使用) 気が付いたことをメモして…

(B067)范曄『後漢書』の華嶠『漢後書』依拠(「論」の例)

華嶠『漢後書』逸文と范曄『後漢書』の比較を行っている際に「論」でも同じ文章があることに気が付きました。 「范曄」が「論」も流用したのかと思いましたが、引用した後に自らの文章も付加しているので、結果的に”「范曄」の「論」”になっていると推察でき…

(B066)「倭面土国」について2

hyenaさんから<倭面土国について検討するなら、まずこれ>という趣旨で、「西嶋定生氏『倭国の出現』」の紹介を受けました。 この本は所有しているのですが、まだ詳細は読み切れていませんでした。 ざっと読んだ段階では、『後漢紀』の57年107年遣使を記述…

(B065)「倭面土国」について

前記事の追記で書いた、hyenaさんから教えて頂いた掲示板時代のコメント(by湖南氏)から触発を受けて「倭面土國」の検討を開始してみようと思います。 <東觀漢記安帝紀の記述は、「(永初元年)冬十月、倭國遣倭面土國王帥升等、獻生口百六十人、願請見。…

(B064)『史通』について2

『史通』《卷十二》に正史成立の流れが記載されているので、メモを兼ねて長文引用を行います。 漢文の読める江戸や、明治以降の大家の方々までもが、これを見ても「『後漢書』倭伝は『魏志』倭人伝に依拠している」と考えたことが不思議です。 成立年代にと…

(B063)袁宏『後漢紀』序から分かること

吉川忠夫「范曄と『後漢書』」の続きを見ていましたら、袁宏『後漢紀』の序でも「後漢書を読むに煩穢雜亂・・・」という表現が有りました。 それで、原文を参照してみようと思い、hyenaさんサイトを見せて頂いたら、以下のようにありました。 袁宏『後漢紀』…

(B062)『史通』について

以前から「東観漢記は煩瑣である」というような評価をよく見かけるのですが、原本は失われているので、どのように煩瑣なのか不明で違和感が有りました。 その手掛かりが、吉川忠夫氏著作と、その中に引用されている『史通』にありました。 何と「条章は立つ…

(B061)後漢書「韓伝」の李賢注と魏志「韓伝」の比較

「韓伝」も『後漢書』と『魏志』で比較する予定なので、まず『後漢書』韓伝を見たら、以下の李賢注は『魏志』との比較になっていることに気付きました。 李賢注<魏志曰:「諸國各有別邑,為蘇塗,諸亡逃至其中,皆不還之。蘇塗之義,有似浮屠。」> →『後漢…

(B060)華嶠『漢後書』・范曄『後漢書』の比較追加

華嶠『漢後書』と范曄『後漢書』の比較を更に実施して、⑪~⑰追加(今回は『漢後書』逸文の分析を重視して、『東観漢記』との比較は実施していません) ◆「漢後書逸文」で特徴的なこと ⑭後漢書「董卓列伝」との一致 ⑮後漢書「南蛮西南夷列伝」との一致 ⑯後漢…

(B059)華嶠『漢後書』・范曄『後漢書』・『東観漢記』の三書比較

「中国哲学書電子化計画」サイトを利用して三書を比較してみました。 予想以上に一致項目が多いので、10項目まで探して、表にしたものを示します。 (まだ有るのは確実ですが、傾向を見るには、これで充分な数と思います) ◆分ったこと (1)華嶠『漢後書』…

(B058)「後漢書」本記における東夷諸国の記載回数

まず訂正です。 (B056)と(B057)の2回にわたって「陳長崎教授」の見解として紹介した内容は、ブログ主さんの見解でした。 当該ブログに掲載の陳教授の解釈部分を改めて引用すると以下になります。 <中国魏晋南北朝史学会 副会長 陳長崎教授は以下のように指…

(B057)「魏志依拠」の通説を「可能性と蓋然性」で考えてみる

昨日記事の「陳長崎教授」見解(5月15日訂正:これは陳教授ではなくブログ主さんの見解でした) <今なお、5世紀に書かれた「後漢書」は3世紀に書かれた「魏志倭人伝」を参考にしたという珍説が定説がごとく述べられているが、江戸時代の歴史書を書くのに明…

(B056)中国人学者、特に「陳長崎教授」の魏志倭人伝解釈

このところ実施している後漢書の検証からは一旦離れますが、以下の番組の内容は以前から注目して繰り返し検討を行って来ました。 ”TBS〜古代ミステリー 幻の国は“ここにあった!”〜 2019年5月10日放送”番組紹介 <・・・ 「邪馬台国」の存在を唯一記した…

(B055)「後漢書」と「後漢紀」の本紀比較(同期間での「詔曰」の出現回数)

本紀の検討において「詔」に着目しています。 今回は本紀における「詔曰」の出現回数について、「明帝」本紀の一部分を対象として、「後漢書」と「後漢紀」で比較してみました。 比較表を添付しますが、先に比較分析結果を示します ■「明帝」の本紀冒頭部に…

(B054)「後漢書」と「後漢紀」の本紀の比較

後漢書と後漢紀の本紀を比較してみました。 暫定版ですが以下に添付します。 比較対象としては、「倭の遣使記事」がある部分の前後を抽出して比較(赤字は両書で一致が見られる箇所...目視比較で抜けが有る可能性は充分あり) ◆光武帝記(最後)57年遣使 ◆考…

(B053)「後漢書」本紀における「詔曰」の出現数

「後漢書」本紀を更に調べてみました。 本紀の中でも公式性が高い「詔曰」に着目して記載箇所数をカウント。 合計123箇所もありました。 これほどの数の詔記載の「元ネタは何か?」が課題になります。 また、魏代史書には時代的に合わないので、この多数…

(B052)「避諱(ひき)」に関して

「中国哲学書電子化計画」のサイトで、「後漢紀」において「烏桓」を検索すると、「桓」が以下の別字体になっている箇所が出て来ます。この字体についてhyenaさんに教えて頂いたのでメモ。 hyenaさん談<桓の最後の「一」が書けているのは避諱欠画と言って、天…

(B051)「後漢紀」「魏書(裴注)」「後漢書」の烏桓(烏丸)鮮卑伝冒頭

「魏書(裴注)」「後漢書」には烏桓(烏丸)鮮卑伝があります。 その冒頭部分が「後漢紀」にもあったので、メモを兼ねて(1)~(3)として列挙しておきます。(参考の趣旨で、その前後の記述も記載しています) (1)「後漢紀」《卷八》の烏桓鮮卑 ◆建…

(B050)「後漢書」の「本紀」について 2(「後漢紀」・「東観漢記逸文」との比較)

昨日hyenaさんより以下の示唆を頂きました <范書本紀に見えるということは袁宏『後漢紀』にもあるかも。> →「中國哲学書電子化計画」サイトで調べてみたところ、大幅に節略はされていますが、出だし部分の同じ文章が有りました。 また、同サイトで「東観漢…

(B049)「後漢書」の「本紀」について

後漢書「東夷伝・烏桓鮮卑伝」には以下の諸国が記載されています。 1夫餘 2挹婁 3高句麗 4沃沮 5濊 6三韓 7倭 8烏桓 9 鮮卑 ➡その一方で、今は当方は「本紀」にも注目しています。上記の中の「夫餘・高句麗・烏桓・鮮卑」は、中国に繰り返し侵入しており、「…

(B048)裴注「魏書」烏丸鮮卑伝と「後漢書」烏桓鮮卑伝の比較

「後漢紀」との比較に続いて、「魏書」との比較を行ってみました(長いので各伝3分割して掲示、また赤字は両書で合致が見られる箇所) 比較により得られた当方着眼点 (1)書き出し部分は、よく一致。特に烏丸烏桓伝は、合致部分が長く続いています。 (2…

(B047)「後漢紀」と「後漢書」の比較

「後漢紀」と「後漢書」の東夷記述の比較を行ってみましたので比較表を示します。 (魏志には比較表の記事に対応する年号入りの記述無し) 結果として、「後漢紀」と「後漢書」の記述は基本的に合致しています。 よって、この両書は同一の原史料を参照した可…

(B046)後漢書の本紀と東夷伝比較(夫餘と高句麗)

東夷の記述は、東夷伝だけでなく、対応する記述が本紀にもあります。 それで、後漢書の「夫餘」と「高句麗」について、本紀と東夷伝の比較実施しました。 表を以下に添付しますが、単純ですが重要なことが分かりました。 ◆「本紀」は季節や月も入っている場…

(B045)「夫餘」伝の両書比較

「夫餘」両書比較表 ◆右側の後漢書で、「魏志に無い年号入り記述」(橙色網掛け)が多数あることが改めて見て取れました ◆今回新たな発見・・・夫餘の王統譜(後掲の資料で詳説) ①永初五年(111年),夫餘王始將步騎七八千人寇抄樂浪,(後漢書)②永寧元年(12…