邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

(B026)笠井新也氏論考 「卑弥呼の冢墓と箸墓」3(殉葬)

笠井氏は「殉葬」に関しても詳細な論考を行っていて、引用します。 同氏の趣旨は「『婢百余人』 の一句は、彼の『径百余歩』の一句と共に、我が国史に欠けた数量的記載が、偶々、彼の国史に伝へられたものと考へられるのである」ということで、魏志倭人伝の…

(B025)笠井新也氏論考 「卑弥呼の冢墓と箸墓」2

前記事(025)で、笠井新也氏による「箸墓=卑弥呼墓」の論証を紹介しました。 それ以外にも、箸墓古墳の大きさや形状などからも、論理的に検証されているので、参考に引用します。 (当方コメントは引用終了の後に添付) -----引用開始----- 「卑弥呼の冢墓と…

(B024)笠井新也氏論考 「卑弥呼の冢墓と箸墓」1

笠井新也氏と小澤一雅氏とで見解が相反しているので、主要論点を抽出して、当方の現状判定を行ってみました。 ➡両者で(当方判定によると)正しい所と間違っている所があるようです。 このような場合には真相把握が行いにくくなります。 以下は参考として、…

(B023)小澤一雅氏による「崇神崩年」検討について1

小澤氏は崇神崩年に関して「258年説と318年説」の両方に疑義を示されています。 ◆小澤一雅氏の論文・著書(他にも有り) a."古事記崩年干支についての疑念" 2009年11月28日シンポジウム b. ”崇神天皇の崩年はいつ頃か” -崩年モデルによる数理的検討- c.…

(B022)日本書紀の暦法に関して、及び「桂川光和」氏グラフと崇神天皇没年に関して

前記事(B021)の追記に載せた以下ブログで興味深い記述が有りました 天武天皇の年齢研究−元嘉暦と儀鳳暦 <持統から雄略までは、元嘉暦で書かれ、それ以前は儀鳳暦(平朔)で書かれました。元嘉暦使用はそれまでにも使用されていたからでしょう。全体を元嘉…

(B021)日本書紀は「暦法2種類の切替わりがある」ことからの考察

wiki「日本書紀」を次段に引用します。 要点は表を見て頂くと「A儀鳳暦とB元嘉暦が途中(5世紀のどこか?)で切替わっている」という事実です。 引用中でも述べられているように、7世紀に唐で作られた新しい暦法である「A儀鳳暦」の方が、古い時期である「神…

(B020)古事記の没年記載による崇神天皇没年の検討

古事記の没年干支からの崇神天皇没年推定については、「258年か318年か」で長年議論されて来ています。 前記事で天皇代数の検討を行ったので、下図の時系列から改めて検討してみます。 図で「④から③までの期間」を考えます。 1.④崇神没=318年想定では③ま…

(B019)卑弥呼没年と天皇没年の時系列検討

魏志と日本書紀の時系列に、下図のマイルストーン①~④を設定できることに着目しました。 ◆上図マイルストーン説明(◎〇△は確実性の目安を示す) ①卑弥呼没「正始中(240~249年)」⇒期間中の後半で「246年」と仮設定 ➡ ◎魏志倭人伝と梁書の記述から「正始中」…