古事記の没年干支からの
崇神天皇没年推定については、「258年か318年か」で長年議論されて来ています。
前記事で
天皇代数の検討を行ったので、下図の時系列から改めて検討してみます。
図で「④から③までの期間」を考えます。
1.④崇神没=318年想定では③までの期間は「456-318=138年」
この間に含まれる天皇代数は崇神後で第11代から第20代までの10代ですが、神功を入れると11代になります(神功皇后は実質的に天皇相当と考える)
⇒在位平均年数=138/11=12.5年
➡平均在位約10年説を上回り誤差とは言えないレベルか?
2.崇神没=258年に想定する場合は、③までの期間は「456-258=198年」
➡「崇神没=258年説は不成立」が容易に証明されることになります。
古事記没年干支を基にするなら崇神没=318年しか想定し得ません。
→これだけでも長年の論議が「318年説」で決着されるか。
後は上記1で平均在位年数が12.5年になり、平均在位約10年説を25%上回ることをどう考えるかになって来ます。
以上
[追記]
上記「12.5年」に対する個人的な推測
(ア)
日本書紀の古代
天皇在位年数は大幅な改ざんがあるので、
記紀が両書とも虚偽を書いていることは無いと考えて、
古事記の方は概ね信頼できるのではないか
(イ)平均在位約10年説も基本的には信頼性が有るのではないか
⇒両方を考え併せると以下推測
◆書紀編者が
魏志との整合を取る目的で、「
神功皇后を
卑弥呼の時系列に合わせるために、何らかの細工を入れているのではないか」
➡細工の影響が
欠史八代(
卑弥呼共立前と推測)より後の
崇神以降の
天皇の代数にも影響していて、結果的に「平均在位年数=12.5年」になっているのではないかと推察しています
(つまり、細工無しだと10年に近づくのではないかという仮定...但し細工方法は分からない)
追記以上