2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧
(星天講@hoshisora_cさんとのX(旧ツイッター)での検討により) 「後漢書が魏志依拠かどうか?」について、三択で整理することが出来ました。 ■後漢書に関する三択(57年107年遣使記事除く) A:魏志に依っている(通説) B:魏志に依っていない(支持例…
たまたま検索で以下の論考が出ました。当方にとっては掘り出し物でした。 ”「邪馬壹国の方法」と新たな展開” 鎌倉市 大墨伸明 ➡当方で考えていた「史書ごとの使用語句の違いによる年代順」の推定に、そのまま使えるという点で掘り出し物でした。 上表の下部…
前記事の内藤湖南氏と論争を繰り広げた「白鳥庫吉」氏の見解についても、改めて見てみました。見解が記載されている論文の抜粋を後方に添付します。 抜粋でも長く、突っ込みどころと思える箇所が複数あります(苦笑) その中で一番気になった記述を更に抽出…
内藤湖南氏は「卑弥呼考」で「後漢書倭伝の遣使記事は魏略に依った」との見解を述べています(該当箇所抜粋を後方に添付)。 しかし、後漢書の遣使記事は、倭伝だけでなく本紀にもあります。 それには「月」などの倭伝に無い情報もあります。 魏略には本紀に…
これまでの検討の中で、”「倭国」がいつ頃から登場したのか?”が私的課題になってきたので、参考用に魏志と後漢書で「倭国」の箇所を赤字にしてみました。 ■魏志:倭人伝3箇所、本紀1箇所 →倭人伝では3箇所とも後半に記述。特にDブロックは、習俗の中で高…
前記事の最後に書いた”「倭」と「倭国」と「邪馬臺國」をどう捉えるか”についてhyenaさんから以下のコメントを頂きました。 <『宋書』倭国伝の倭王武の上表文にある毛人や衆夷も「国」であり、将軍号に見えるように倭も一つの「国」なんですね。邪馬臺国は倭の…
「後漢書は魏志非依拠」の想定では、後漢書の詳細分析の意義が大きくなります。 例として、「其」の使用について分析してみました。当方で番号を付与しました。 ◆後漢書倭在韓東南大海中依山島為居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統…
前記事の中から着目点を抽出して、私論を作成してメモ。 以下のように考察してみています。 ◆①韓 方四千里 →韓半島の地形は三方が海で、範囲が分かり易いと言えるでしょう。 それで古来から領域が「〇〇四方」という感覚が有ったのではないか。 そして「〇〇…
行程の新解釈が出来ました。ベースは下表です。 ➡A(距離)とB(位置)について、以下のことが言えそうです。 A:里数の「①方四千里②七千里⑥万二千里」は後漢書・魏略・魏志に共通です。 →結果的に、この三つの里数は”後漢代から有った”と考えることができ…
「魏志依拠」の通説の訂正を主眼にしてきたので、行程記述は具体的になり過ぎるきらいがあるため、余り言及してこなかったのですが、だんだん検討範囲を広げていく一環として、魏略と魏志の行程記述を比較してみました。 ➡魏略は「6)~9)」までが抜けている…
前記事の行程再検証で、「項目ごとに比較分析する手法」の有効性を改めて感じたため、従来から関心の高い「刺青」と「中國からの位置」の関連部分を抜き出して改めて表を作成しました。 以前に当方ブログ(B034)(B035)で考察済みなのですが、陳寿は後漢書の「…
魏志倭人伝のブロック分割での検証で以下構成が見えて来ました。 →結果的に、後漢書の「七千里と萬二千里」が基本になると考えます。 それで表を作成してみました。 →ポイントは、「韓の大きさ」について後漢書に「地合方四千餘里」と有るのを加えて検討して…
ブロック化で「節略かどうか」以外にも、見えて来ることがあります。 注目点を緑字と水色字にしてあり、下方で考察します。(なお、文字の色付けに当たっては、赤字部を含め、両書における文言の微妙な違いは無視しています) →以下に考察を記します。 ①緑字…
前記事の表を見直して、再作成。 赤字の箇所は、後漢書に無い文言(B,D,Fのブロック単位で無い文言は除く)。 →こうやって見ると、魏志を節略して後漢書にしたというより、後漢代の原史料に後代で得られた情報が魏志(や魏志が参照した魏代史書)で追加され…
前の記事の「呉志」と「魏志 東沃沮伝」の記述を並べてみました。 左右の記事の内容自体は全く関連性がありません。 しかし、公式記録と古伝説を取り混ぜて記述しているのは特徴的と感じます。 そして、それが陳寿の手法の特徴の一つではないか。 → 上表の場…