邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B104) 「其」の使い方分析(後漢書)

後漢書魏志非依拠」の想定では、後漢書の詳細分析の意義が大きくなります。

例として、「其」の使用について分析してみました。当方で番号を付与しました。

後漢書
在韓東南大海中依山島為居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統①其倭王居邪馬臺國樂浪郡徼去②其萬二千里去③其西北界拘邪韓國七千餘里④其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故⑤其法俗多同
土宜禾稻麻紵蠶桑知織績為縑布出白珠青玉⑥其山有丹土氣溫鹏冬夏生菜茹無牛馬虎豹羊鵲⑦其兵有矛楯木弓竹矢或以骨為鏃男子皆黥面文身以⑧其文左右大小別尊卑之差⑨其男衣皆橫幅結束相連女人被髮屈紒衣如單被貫頭而著之;並以丹朱坋身如中國之用粉也有城柵屋室父母兄弟異處唯會同男女無別飲食以手而用籩豆俗皆徒跣以蹲踞為恭敬人性嗜酒多壽考至百餘歲者甚眾國多女子大人皆有四五妻⑩其或兩或三女人不淫不妒又俗不盜竊少爭訟犯法者沒⑪其妻子重者滅⑫其門族⑬其死停喪十餘日家人哭泣不進酒食而等類就歌舞為樂灼骨以卜用決吉凶行來度海令一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰「持衰」若在塗吉利則雇以財物;如病疾遭害以為持衰不謹便共殺之
建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
桓靈閒倭國大亂更相攻伐歷年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑眾於是共立為王侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衛法俗嚴峻
女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王自女王國南四千餘里至朱儒國人長三四尺自朱儒東南行船一年至裸國黑齒國使驛所傳極於此矣
會稽海外有東鯷人分為二十餘國又有夷洲及澶洲傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海求蓬萊神仙不得徐福畏誅不敢還遂止此洲世世相承有數萬家人民時至會稽市會稽東冶縣人有入海行遭風流移至澶洲者所在絕遠不可往來

➡まず最初に目につくのは、「前半には『其』が多用されているのに、後半には『其』が全く使われていない」ことです。

一方で、「後半には『倭国』と『女王国』が使用されていて、『其』だけでなく『倭』の使用も無し」になっています。

前半と後半の差は大き過ぎる気もします。もしかすると「別の(時代の)史料の接合」かも知れません。

更に「其」の使用を表にしてみました。

➡気が付いたことは「其國」が、②の一箇所のみしか使用されていません。

但し、「國」自体は「百餘國」・「三十許國」・「國皆稱王」・「邪馬臺國」で使用されていますが、冒頭部には「倭國」が無いのも違和感。

結果的に、①~④が指し示す対象は吟味が必要と思われます。

①「其」:倭

→これは確実と思いますが、冒頭部は「倭」であって、「倭国」という記述が無いのに、「大倭王」が急に出て来る感じで唐突な感じもあります。

②「其国」:邪馬臺國?

後漢書の前半には「倭国」が全く出て来ないことと関連あるか?

③④「其」:倭と思われるが、”②「其國」”を指すと考えたら「邪馬臺國」かも。

 

➡これらは”「倭」と「倭国」と「邪馬臺國」をどう捉えるか”につながって、ややこしそうです(苦笑)

今後継続検討予定。

以上