邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B071) 白鳥庫吉「倭女王卑彌呼考」の疑問点

内藤湖南」氏と「白鳥庫吉」氏に関する解説例。

邪馬台国論争については、白鳥庫吉の九州説に対して、内藤湖南畿内説を主張し、激しい論争を戦わせた。
「東の白鳥庫吉、西の内藤湖南」「実証学派の内藤湖南、文献学派の白鳥庫吉」と称された>

→この両大家について、内藤氏は前回と前々回の記事で、疑問点を挙げて検証しました。

白鳥氏の論考についても色々疑問点が有ります。

今回記事では、その中から一つを取り上げてみます。

◆白鳥氏は「范曄が魏志倭人伝の離れた場所に有る二つの文章(以下のAとB)を一つにして、後漢書の文章(C)を作成した」という主張

→俗に言う「ニコイチ」を范曄がやったという主張です。

以下に白鳥氏著作「倭女王卑彌呼考」の当該部分を引用し、その後に当方の考察を記します・

引用:”此の如く從來の學者が狗奴國を九州以外に置きて毫(ごう)も之を怪まざりしは、『魏志』の本文を精讀せずして、專(もっぱ)ら『後漢書』の文面に信頼したるに因(よ)るなり。學者若し余輩(よはい...私)の言を疑はゞ試に左(以下)に引用する『魏志』の本文を熟讀せよ。
(A)自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國、遠絶不可得詳、次有斯馬國、(中略)次有奴國、此女王境界所盡、其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王、(中略)(B)女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種、又有侏儒國、在其南、人長三四尺、去女王四千餘里、又有裸國黒齒國、復在其東南、船行一年可至。
 此の中「女王國東渡海云々」以上の文意を案ずるに、末盧、伊都、奴、不彌、投馬諸國の戸數道程は前文の如く之を略載し得べけれども、其餘の傍國に就いては、詳なること知るべからず。然れども斯馬國以下奴國に至る十七ヶ國ありて、而して奴國は女王界の盡(つ)くる所に位す。又女王國の南には狗奴國ありて、男子を王とし、女王に屬せず、と云ふ趣に解せらる。されば倭國即ち九州の全部は、女王の所領にあらずして、その南部は狗奴國の版圖に屬せしなり。然るに後漢書』の編者范曄は上段掲載の文面に據り、而も大に之を省略して、左(以下)の如き文をなせり。
(C)自女王國東度海千餘里、至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王、自女王國南四千餘里、至朱儒國、人長三四尺、自朱儒東南行船一年、至裸國黒齒國、使驛所傳極於此矣。

→白鳥氏が上記で主張している論理は、范曄が「A+B ⇒ C」の俗に言う「ニコイチ」をやったという見方であり、整理してみると以下のようになります。

魏志
A:其南有狗奴國,男子爲王,其官有狗古智卑狗,不屬女王
B:女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種
後漢書
C:自女王國東度海千餘里,至拘奴國,雖皆倭種,而不屬女王

➡白鳥氏の論理を検証するために、以下に魏志倭人伝の冒頭からを示しますが、AとBは相当離れていることが見て取れると思います。

上記引用で「(中略)」は白鳥氏が入れたものですが、「中略に相当する部分が長くて離れすぎ」で、内容的にも関連性は疑問であり、それを一つにしたと見るのは無理筋のように感じます。

→このニコイチの見解に注目する必要が有るのは、これが白鳥氏の「九州説」の重要論拠の一つになっているからです。

「范曄が間違ったニコイチをやってしまったために、後漢書の記述の誤った部分は考慮する必要は無い」というのが白鳥氏の主張です。

そこから、「後漢書では狗奴國が女王国の東に有るように書かれているが誤りであり、魏志倭人伝を読めば、邪馬台国とそれに属する国々、及びそれらの南に位置する狗奴國が九州島内に収まることが分かる」というのが白鳥氏の主張です。

しかし、その論理が無理筋というのは、上記に示した「AとBの離れ具合」でも証明できていると思います。

加えて、そもそも「後漢書魏志に依拠していない」という証明を当ブログで行ってきています。

結果的に、湖南氏主張も含めて、調べれば調べるほど「後漢書魏志依拠の通説」の根は深く、その(悪)影響は大きいことが分かって来ます。

是正が必須ですが、根の深さが尋常ではないので、じっくり検証して行く予定です。

以上

[追記]

「放射説」の「榎一雄」氏も通説派でした。

以下のように、「(後漢書が)魏志の文章を敷衍して・・・」と「魏志依拠」を主張。 色々な大家の方々も結局「成立年代」から来る「思い込み」に惑わされていたようで残念です。

以上