邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B126)「東アジア視点から見た魏志倭人伝の新見解」 江上波夫氏論考

以上

(B125)「鉄の古代史 弥生時代」 奥野正男

「銅鏃と鉄鏃」という箇所を抜粋します。 以上

(B124) 矢藤治山古墳(墳丘墓)

「吉備」について検討をしていく中で、「矢藤治山古墳(墳丘墓)」が、「弥生時代と古墳時代の転換点」に位置すると考えられる重要な遺跡であることを認識できました。更に調査した結果として幾つかの記事をメモ。 ◆記事1 矢藤治山古墳は、岡山市西花尻・東…

(B123) 「都宮としての纏向」の考察2(「渡来人が主導?」)

纏向遺跡についてさらに検討。 検討の土台として、纏向遺跡の説明例を示します。 ■纒向遺跡説明例 (桜井市観光協会サイト⇒説明が妥当で専門家が監修と想定) <纏向遺跡は纒向川の扇状地に広がる東西約2キロメートル、南北約1.5キロメートルの広大な遺跡で、…

(B122) 「都宮としての纏向」の考察1

纏向は「都宮」として造営されたと想定して、関連考察を行ってみます。 その前に、纏向より以前に倭の中心地が有ったのではないかと思える「吉備」の話。 Xでコメントを頂いたので、ここにも収録。 ◆アヂさん 2023年10月27日 <宮山式は岡山県総社市での纒向…

(B121) 吉備と纏向の関係性検討1「宮山型特殊器台」

最近記事で、纏向遺跡の「宮都」としての考察を書きました。 (なお「都」の一文字だと、イメージが湧きにくい感じもするので今後は「宮都」を使ってみます。「宮都とは、もともと『宮室、都城』を略した言葉です。宮室は天皇の住まいを意味し、都城はそれを…

(B120) 「苅谷俊介」氏の纏向遺跡に関する説について([追記]では「古墳時代」の名称について)

前記事で、「大型建物の”柱列中心線の延長線上”に箸墓古墳の後円丘の中心が有る」という事実関係を紹介しました。 纏向を都として、都市計画の可能性が有りますが、そうなると色々考察が膨らみます。 例えば、箸墓古墳は平地(緩やかな扇状地)に盛り土をし…

(B119) ”纏向遺跡大型建物と箸墓古墳の配置は都(みやこ)の都市計画だった”仮説

アヂ@csagevさんから吉備について以下のコメントを頂きました。 <吉備分裂自体は2世紀末か2世紀いっぱい(〜庄内式前半)と考えます。AD200前後には最初に瀬戸内と南関東(廻間I式末〜II式初)で前方後円墳が出現し、吉備の纒向型前方後円墳と大規模な弧帯文様…

(B118) X(旧twitter)で提示が有った資料に基づく検討(暫定)

X(旧twitter)で提示が有った資料から考察してみました。 テーマは「倭国の範囲の時代的拡大」です。 ■「RTbotと化したひさし」さん資料 抽出 <・九州の記述が多い割に、近畿周辺の記述が少ないように見える。 邪馬台国が近畿ならもう少し記述があっても…

(B117) 博物志との比較で見えた魏志の沃沮伝説記述における誤解の発生(続)

前記事の[追記]に記載したブログ「三国与太噺 season3」の考察が優れていると感じたので、詳細を見てみました。(「与太噺」と謙遜しておられますが、かっちりした構成になっています) 張華『博物志』と陳寿『三国志』における文章合致 <(引用している博…

(B116) 博物志との比較で見えた魏志の沃沮伝説記述における誤解の発生

魏志の沃沮伝で、以下のように「毌丘儉」の遠征を書いた記事が有ります(改行と番号付与は当方)。 毌丘儉討句麗,句麗王宮奔沃沮,遂進師擊之。沃沮邑落皆破之,斬獲首虜三千餘級,宮奔北沃沮。北沃沮一名置溝婁,去南沃沮八百餘里,其俗南北皆同,與挹婁接…

早稲田大学名誉教授「福井重雅」氏論文

期間限定で「福井重雅」氏の論文「『後漢書』 『三国志』 所収倭 (人) 伝の先後関係」を掲載します。 福井氏の古稀・退職記念論文集「古代東アジアの社会と文化」の中に入っている論文です。(早稲田大学教授としての最終講義2006年1月の内容の一部をまとめた…

(B115) 通説な方々たち(3)「大塚初重」氏

著名な考古学者の「大塚初重」氏(明治大学)も「通説」だった話。しかも恩師からの影響。 大塚初重 「弥生時代の時間」 <私は学部の卒業論文の審査のときに、 後藤先生、杉原先生が並んでいる前で、杉原先生から「大塚君、『魏志倭人伝』と『後漢書』とど…

(B114) 通説な方々たち(2)「渡邉義浩」氏

◆渡邉義浩氏も著書で明確に「魏志依拠説」を表明している箇所が複数ありました。 ①「魏志倭人伝の謎を解く」渡邉義浩 ---「附章 魏志倭人伝 訳注」抜粋引用--- (5)投馬国・邪馬台国 (補注) (一)『三國志』の諸版本は「壹」とするが、『三國志』を参照…

(B113)「通説」な方々たち(1)山尾幸久氏

山尾幸久氏「新版・魏志倭人伝」も「通説」であることが判明しました。 ただし、以下のAとBのようになっていて、少し分かりにくくなっています。 A(P25~)では、「范曄は先行してあったあまたの後漢書から自らの『後漢書』をまとめ上げた」との趣旨が書…

(B112) 参考 高校日本史教科書 山川出版

歴史教科書で定評のある山川出版の高校日本史教科書も参考に掲載します(邪馬台国の前後も掲載)。 「山川出版キャッチフレーズ」 <定評ある山川の歴史書。「歴史書、教科書、学習参考書の山川」として高等学校の日本史・世界史・公民の教科書、学習参考書…

(B111) 「”後漢書倭伝は魏志倭人伝依拠”の通説」が崩れた場合の影響例(高校日本史教科書)

図書館に「教科書展示コーナー」が有ったので、各社の「高校日本史教科書」を見てみました。そうしたら、「通説」崩壊で影響を受ける記述が複数ありました。 「清水書院」の教科書を例にとって今回は3点紹介。(当該教科書は[追記]に抜粋掲載) ①「通説」の…

(B110) 「魏志依拠」かどうかの三択とその影響について

(星天講@hoshisora_cさんとのX(旧ツイッター)での検討により) 「後漢書が魏志依拠かどうか?」について、三択で整理することが出来ました。 ■後漢書に関する三択(57年107年遣使記事除く) A:魏志に依っている(通説) B:魏志に依っていない(支持例…

(B109) 各書の「使用語句の新旧」について

たまたま検索で以下の論考が出ました。当方にとっては掘り出し物でした。 ”「邪馬壹国の方法」と新たな展開” 鎌倉市 大墨伸明 ➡当方で考えていた「史書ごとの使用語句の違いによる年代順」の推定に、そのまま使えるという点で掘り出し物でした。 上表の下部…

(B108) 白鳥庫吉氏見解「”極南界”は范曄の誤解」への疑問

前記事の内藤湖南氏と論争を繰り広げた「白鳥庫吉」氏の見解についても、改めて見てみました。見解が記載されている論文の抜粋を後方に添付します。 抜粋でも長く、突っ込みどころと思える箇所が複数あります(苦笑) その中で一番気になった記述を更に抽出…

(B107) 内藤湖南氏見解「後漢書の遣使記事は魏略に依った」への疑問

内藤湖南氏は「卑弥呼考」で「後漢書倭伝の遣使記事は魏略に依った」との見解を述べています(該当箇所抜粋を後方に添付)。 しかし、後漢書の遣使記事は、倭伝だけでなく本紀にもあります。 それには「月」などの倭伝に無い情報もあります。 魏略には本紀に…

(B106) 魏志と後漢書での「倭国」の記述箇所

これまでの検討の中で、”「倭国」がいつ頃から登場したのか?”が私的課題になってきたので、参考用に魏志と後漢書で「倭国」の箇所を赤字にしてみました。 ■魏志:倭人伝3箇所、本紀1箇所 →倭人伝では3箇所とも後半に記述。特にDブロックは、習俗の中で高…

(B105) 後漢書の「大倭王」に関して

前記事の最後に書いた”「倭」と「倭国」と「邪馬臺國」をどう捉えるか”についてhyenaさんから以下のコメントを頂きました。 <『宋書』倭国伝の倭王武の上表文にある毛人や衆夷も「国」であり、将軍号に見えるように倭も一つの「国」なんですね。邪馬臺国は倭の…

(B104) 「其」の使い方分析(後漢書)

「後漢書は魏志非依拠」の想定では、後漢書の詳細分析の意義が大きくなります。 例として、「其」の使用について分析してみました。当方で番号を付与しました。 ◆後漢書倭在韓東南大海中依山島為居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統…

(B103) 行程と位置の着目点と私論

前記事の中から着目点を抽出して、私論を作成してメモ。 以下のように考察してみています。 ◆①韓 方四千里 →韓半島の地形は三方が海で、範囲が分かり易いと言えるでしょう。 それで古来から領域が「〇〇四方」という感覚が有ったのではないか。 そして「〇〇…

(B102) 行程と位置の謎に迫る

行程の新解釈が出来ました。ベースは下表です。 ➡A(距離)とB(位置)について、以下のことが言えそうです。 A:里数の「①方四千里②七千里⑥万二千里」は後漢書・魏略・魏志に共通です。 →結果的に、この三つの里数は”後漢代から有った”と考えることができ…

(B101) 魏略と魏志の行程記述比較

「魏志依拠」の通説の訂正を主眼にしてきたので、行程記述は具体的になり過ぎるきらいがあるため、余り言及してこなかったのですが、だんだん検討範囲を広げていく一環として、魏略と魏志の行程記述を比較してみました。 ➡魏略は「6)~9)」までが抜けている…

(B100)「比較分析手法の有効性」

前記事の行程再検証で、「項目ごとに比較分析する手法」の有効性を改めて感じたため、従来から関心の高い「刺青」と「中國からの位置」の関連部分を抜き出して改めて表を作成しました。 以前に当方ブログ(B034)(B035)で考察済みなのですが、陳寿は後漢書の「…

(B099)「後漢書は魏志非依拠」からの 行程の再検証

魏志倭人伝のブロック分割での検証で以下構成が見えて来ました。 →結果的に、後漢書の「七千里と萬二千里」が基本になると考えます。 それで表を作成してみました。 →ポイントは、「韓の大きさ」について後漢書に「地合方四千餘里」と有るのを加えて検討して…

(B098) 魏志倭人伝のブロック分割から見えて来るもの

ブロック化で「節略かどうか」以外にも、見えて来ることがあります。 注目点を緑字と水色字にしてあり、下方で考察します。(なお、文字の色付けに当たっては、赤字部を含め、両書における文言の微妙な違いは無視しています) →以下に考察を記します。 ①緑字…