邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B115) 通説な方々たち(3)「大塚初重」氏

著名な考古学者の「大塚初重」氏(明治大学)も「通説」だった話。しかも恩師からの影響。

大塚初重 「弥生時代の時間」

<私は学部の卒業論文の審査のときに、 後藤先生、杉原先生が並んでいる前で、杉原先生から「大塚君、『魏志倭人伝』と『後漢書』とどっちが先に編纂されたと思いますか」と聞かれ、「それは『後漢書』です」と答えたら、「駄目だな、お前は」といわれたことを覚えています。 魏志倭人伝』のほうが先で、『後漢書」は南朝の宋時代、四世紀から五世紀にかけて編纂されたものなんだということです。「もっとよく勉強しなければ駄目だ」と叱られましたが、ああいう恥をかいたことは一生忘れないものです。>

➡先生が間違っていて、よく調べると「成立年代は後漢書が後でも、後漢書は”後漢代原史料”を参照していた」が分かるのですけどね><

魏志依拠説は、このような間違いの連鎖を生む点でも罪深いです。

ただし、厳密には范曄は「後漢代原史料(改)」を主に参照したと思われ、その候補は華嶠「漢後書」と推察。

なお、華嶠は後漢代原史料である「東観漢記」を基にして、その煩瑣さを改善して「漢後書」を作成しましたが、范曄が「東観漢記」も直接参照した部分がある可能性も考えられ、この辺で、ややこしくなります。

 

大塚氏著書「原文」

以上