山尾幸久氏「新版・魏志倭人伝」も「通説」であることが判明しました。
ただし、以下のAとBのようになっていて、少し分かりにくくなっています。
A(P25~)では、「范曄は先行してあったあまたの後漢書から自らの『後漢書』をまとめ上げた」との趣旨が書かれ、各先行後漢書の解説がなされています、その中には三国志の解説は全くありません。
しかしB(P72~)では、「(後漢書)の倭人伝は、直接か間接かはわからないが、『三国志』によるところが多い」といきなり書かれています(苦笑)しかも、「25ページ以下に示したように」(=上記A)と書かれているのに、前述のようにAには三国志の解説なし。
全くの矛盾と言うか支離滅裂状態に見えます。これを考えてみると、中国史書に書かれている「乃刪衆家後漢書、為一家之作」(宋書「范曄伝」)を理解していても、その上で日本での「通説」も述べようとすると、山尾氏のような矛盾が発生してくるのではないかと推察。
日本でのずっと後代の解釈(通説)より、中国史書の記述に依って考えるのが優先ということに気付かないぐらい通説の呪縛がキツいようです><
なお、[追記]に早稲田大学元教授の「福井重雅」氏の論文を添付します。
「定説(通説)」を綿密な論理で批判して、次のように明快な結論を出しておられます。
■范曄はそれらの先行史料を利用して“修史”に從事すれば十分であって、わざわざ王朝や時代を異にする、後出の『三國志』を用いなければならない必要性や妥當性は、微塵もなかったのである。以上がこの論文の結論である。
→後漢書に関して、「魏志依拠」の「通説」や、「魏志に依拠した部分も依拠していない部分もある」というような「中間的見方」の方々は、その見解を維持するためには、福井氏論文の「魏志依拠の必要性や妥当性は微塵もなかった」との趣旨の証明に対して、全面的な再反証が必須になって来るでしょう。
-----以下は山尾氏著作の原文引用-----(「福井重雅」氏論文はこの後の[追記]です)
A:P25~<范曄は、後漢を対象としたあまたある史書によって、みずからの後漢史をつくった。范曄の『後漢書』を読むうえで肝心な点がこれである。彼は後漢時代の古い記録を実際に調べたりはしていない。あまたの後漢史のいちばん最後にできたものなのである。・・・
范曄は、これらあまたの後漢史によって、みずからの『後漢書』をまとめた。なかでも大きな影響を受けたのは、①の『東観漢記』、華嶠の『漢後書』、衰宏の『後漢紀』であったという。范曄は、多くの学者を動員して各種の歴史書を調べさせ、煩雑な部分を削り、簡略な点は補充し、『後漢書』をまとめあげた。>
B:P72<25ページ以下に記したように、この本(後漢書)の倭人伝は、直接か間接かはわからないが、『三国志』によるところが多い。>
以上
[追記]
追記以上