ブロック化で「節略かどうか」以外にも、見えて来ることがあります。
注目点を緑字と水色字にしてあり、下方で考察します。(なお、文字の色付けに当たっては、赤字部を含め、両書における文言の微妙な違いは無視しています)
→以下に考察を記します。
①緑字「萬二千餘里」
ブロック単位で後漢書にないB,D,Eの中で、唯一この「萬二千餘里」だけは後漢書にも有ります。これについて考えてみると、個人的には以下のように見えます。
→魏志では、まず後漢書の萬二千里と七千余里に関連する記述を入れ替えた上で、間に(後代に得られた情報である)Bブロックを挿入したのではないか。
このように見て行くと、魏志での情報追加の跡が見えて来るように思います。(分割して間に挟み込むやり方、短く言うと「分割・挿入」は、他箇所でも見られるので陳寿の得意技なのかも知れません)
なお、後漢書では共立の記述以降にしか出て来ない「女王国」という文言が、魏志では最初の方のBブロックでも頻出しているという違いも注目点と考えます。後漢書では、「卑弥呼」や「女王」が出て来るのは最後に近い以下部分だけです。
→これは、後漢書の記述の中でも時間差があって、卑弥呼共立は桓霊間ですから、それまでは男王と推測できます。それで共立の記述までは、女王が出て来ないのではないか、という検討をしています(ただし検討途中です)。
また、魏志では、行程関連記述のBブロックに「女王」が頻出しているのは、行程情報は共立後に得られたことを示していそうです。更に同じく後漢書に無いDブロックにも「女王」の記述が入っていて、”「女王」が入った記述は共立後の情報”と見ると、「女王」の有無で情報の新旧を判定できるかも知れません。
なお、本項については「魏略」との関係性も課題となります。[追記1]に魏略逸文を示しますが、魏略も「拘邪韓国七千里」と「女(王)国万二千余里」の間に行程関連記事があるように見えます。
陳寿ではなく、魚豢(或いはその前かも)が、このような書き方をしていた可能性も考えられそうです。
②水色字部分1「會稽東冶。儋耳朱崖」
ここでも陳寿は「分割・挿入」を行っているように見えます。
→挿入している部分は、漢書地理志の「會稽と儋耳朱崖」に関連しているようです。特に「兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃」に続いて、「所有無與儋耳朱崖同」になっているのは、陳寿が「儋耳朱崖と所有するところは同じ」ということを分かり易くした積りではないかと推測しています。
③水色字部分2「大人」遭遇場面
「大人」と遭遇した場合の対応が、魏志では2箇所に記述されています。後漢書は1箇所。
→この場合は、後漢書の記述を分割したとは見えません。
そして魏志ではブロックCとDに分かれて入っています。これは、Dのブロックが魏志で追加されたと個人的に見ています(Dブロックは後漢書にない記述)。
新たな情報であるDブロックを追加する際に、陳寿の配慮不足で、おかしな文章になったと推察。
おかしいと見るのは、例えばDブロックを追加する際に、Cブロックの「見大人所敬但搏手以當跪拜」が古い情報であれば、削除すれば重複を避けられるのに残してしまっています。
また、それだけでなく魏志C「見大人所敬但搏手以當跪拜」と後漢書「以蹲踞為恭敬人」は、そもそも意味するところが異なるでしょう。これの理由は測りかねています。
[追記2]で示した「橋本増吉」氏が喝破した”種々の史料を雑然と接合”という面が如実に現れている事例と言えるのかも知れません。
それでも、今までは分りにくい箇所は結局「魏志依拠」で魏志に沿った考察をして、それで良しとしていましたが、「魏志非依拠の認識」が広まれば変わらざるを得ません。
「後漢書倭伝は魏志倭人伝に非依拠」という重要事実が早く広まって貰いたいものです。
以上
[追記1]
倭在帯方東南大海中依山島為国度海千里復有国皆倭種(「漢書地理史」 顔師古注)
従帯方至倭循海岸水行歴韓国到拘邪韓国七千里
始度一海千余里至対馬国其大官卑狗副曰卑奴無良田南北市糴
南度海至一支国置官与対同地方三百里
又度海千余里至末盧国人善捕魚能浮没水取之
東南五百里到伊都国戸万余置曰爾支副曰洩渓觚柄渠觚其国王皆属女王也
女王之南又有狗奴国以男子為王其官曰拘右智卑狗不属女王也
自帯方至女(王)国万二千余里
其俗男子皆点而文聞其旧語自謂太伯之後昔夏后少康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害今倭人又文身以厭水害也
倭南有侏儒国其人長三四尺去女王国四千里(「法苑珠林」)
[追記2]
■橋下増吉氏見解
(B038-1)後漢書倭伝と魏志倭人伝の「習俗等の記述順比較」6(橋本増吉氏の見解について)
<倭人の風俗習慣に関する記事・・・その部分は最も乱雑な記載となって居り、・・・ただ諸種の史料を雑然と採取接合せしものに過ぎざることは、一見して明白なるところである。随ってその何れの部分が魏略或はその他の史料に拠ったものか、或は本来魏略の原文がかくの如きものであったのか、之れを判定することは、全く不可能の事情にある>
追記以上