前記事の表を見直して、再作成。 赤字の箇所は、後漢書に無い文言(B,D,Fのブロック単位で無い文言は除く)。 →こうやって見ると、魏志を節略して後漢書にしたというより、後漢代の原史料に後代で得られた情報が魏志(や魏志が参照した魏代史書)で追加され…
前の記事の「呉志」と「魏志 東沃沮伝」の記述を並べてみました。 左右の記事の内容自体は全く関連性がありません。 しかし、公式記録と古伝説を取り混ぜて記述しているのは特徴的と感じます。 そして、それが陳寿の手法の特徴の一つではないか。 → 上表の場…
前記事で徐福伝説について、後漢書と呉志(三国志)に同じような記述があることを詳細に検討。 それに関してhyenaさんより以下の示唆を頂きました。 <この徐福伝説みたいなケースは東夷の他伝にはありませんでしたか?つまり同じ説話がブロック単位で范書・…
徐福伝説について、後漢書と魏志に同じような記述があるので比較表作成。 →まず①の「東鯷人」は、後漢書が”『漢書』地理志第八下/呉地”の記述を引用は確実。 <會稽海外有東鯷人,分為二十餘國,以歲時來獻見云> 続いて、④~⑬の徐福伝説関連記述は、呉志の…
前記事で、桂川氏著書の以下見解を紹介。 <『梁書』が、何の根拠もなくこの記述を成したとも思われないので、倭国乱とはおおよそ二世紀の後半、中ごろに起きた王位をめぐる内乱である> →前記事の表の両側に、「時代」を追加してみました。 倭国(大)乱と…
桂川氏「『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!」 -----引用開始---- 9 邪馬台国の歴史は誰の認識か 『後漢書』倭伝は、倭国大乱の時期について桓霊間と記す。桓霊の間とは桓帝と霊帝の間で146年から189年の事とされる。また『梁書』は「霊帝光…
桂川氏「『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!」 -----引用開始----- 10「鬼道」ではなく「鬼神道」 ・・・論者の多くが「鬼道」の語句から卑弥呼は神や霊と交信するシャーマンであるとする説がある。しかし『後漢書』倭伝は「鬼神道」である。「鬼…
桂川氏著書の「倭国乱」の箇所(引用後掲)を見ていたら、魏志倭人伝の「倭国乱」の記述に対する個人的違和感の原因が分かって来ました。 ①両書の「倭国(大)乱」の記述の違い (魏志 )倭国乱相攻伐歴年(後漢書)桓霊間倭國大亂更相攻伐歴年無主 ②魏志倭…
◆桂川氏の見解 →『後漢書』が魏代の史料を取り上げたと見ておられます。 -----桂川氏書籍引用開始----- (『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!Kindle版) 7勝手に付け加えられた情報ではない・・・『後漢書』がここで取り上げた資料は魏時代の資料…
◆桂川氏の見解 →以下のように「パールではなく水晶の小玉」としています。 -----桂川氏書籍引用開始----- (桂川光和.『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!Kindle版) 5 真珠ではなく白 珠。正しいのは『 後漢書』倭伝 倭国の特産品の一つについて次…
桂川氏の詳しいサイトがります。 『後漢書』倭伝は『魏志倭人伝』からの派生ではない その中の重要な指摘。 <「単語レベルでは、極めてよく似る。だが文節単位では一つとして同じものはない」> ⇒『後漢書』倭伝と『魏志』倭人伝で、同じ対象の記述でも、殆…
桂川氏の見解”『後漢書倭伝』は『 魏志倭人伝』を参照していない”に賛同していますが、当方見解との違いも色々有るので検討して行きます。 ”桂川光和. 『後漢書』倭伝 読まずして邪馬台国を語るな! Kindle 版. ”から引用 -----引用開始----- 2『魏志倭人伝…
表題の件に入る前に、当方で2冊のKindle本を出したことをお知らせします。 ◆1冊目: 邪馬台国「新証明」1「『後漢書』倭伝は『魏志』倭人伝に依拠していない」 ◆2冊目: 邪馬台国「新証明」2 早稲田大学「渡邉義浩教授」に公開質問 “『後漢書』東夷伝は…
「華嶠書」検討の参考用として、「中國哲學書電子化計劃」の検索機能で、『三国志』における「華嶠」を検索してみました。 結果的に、本文には一つも無くて、全部「注」の中に有りました。 ただし、記述の仕方が以下の4種類もあります。何を指しているか、今…
各書の参照関係を調査したのでメモ(途中経過) ➡「荀爽」の記述に関して、後漢紀・後漢書が、魏志を参照とは見えません。 また、後漢紀・後漢書は、同様の原史料参照の可能性が高く、候補は華嶠書。 ■「荀爽」(「荀彧」の叔父)の記述 ①中平五年(188年) ◆…
王莽伝の「東夷王度大海奉國珍」は色々興味深い面があります。 検索しているうちに、次の論考があったのでメモのために掲載。 東夷の王大海を渡る -三国志魏書東夷伝倭人条国名比定の試み- ➡下の方に抜粋を添付します。今後詳細検討予定です。 ざっと見た…
hyenaさんから、以下の情報を教えて頂きました。 ■『後漢書集解』韓伝弁辰 【王會汾曰案晉梁二書皆作弁韓當從改下云弁辰在辰韓之南弁辰亦弁韓之訛惠棟曰魏志作弁韓】 読み下し 〔集解〕王會汾曰く、案ずるに晉梁二書(晋書、梁書)は皆弁韓に作る。當(まさ)に…
『太平御覧』の「三韓」で気が付いたことがありました。 「《後漢書》曰」としている箇所で、実際の范書と太平御覧、及び魏志の比較 ◆『後漢書』:韓有三種:一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁辰 ◆『太平御覧』:韓有三種,一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韓 ◆『魏志』…
華嶠書における「四夷伝」を検証するために『八家後漢書輯注』で逸文調査しました。 そうしたら、「哀牢」と「南匈奴」がありました。 范書と東観漢記を加えて比較表にしてみました。 但し「哀牢」は『東観漢記校注』には無く、『太平御覧』所引きの《九州記…
【吉川忠夫氏見解】 ①范書の最も基本な的材料は「東観漢記」で、李賢注が説明している。 ②范書が帝紀の後に皇后紀を立てているのは、明らかに華嶠書にならっているに違いない。 ③華嶠書の論と范書の論が一致するものがある。 →これについては、当方も独立に…
---引用開始--- 『後漢書』東夷伝の中でもとくに『倭伝』はデキが悪く、范曄が手がけたと思われる本紀や主要な列伝とは雲泥の差がある。『後漢書』東夷伝を担当したのは歴史文筆の基本を習熟した人間ではなく、范曄が助手か部下に書かせた節がある。そのデキ…
前回記事の続きでブログ引用を続けます(赤字化は当方実施)。 ●『後漢書』東夷伝序文の誤読 『後漢書』東夷伝は、倭伝だけではなく東夷伝の序文から誤字・誤読・無知ぶりを露呈しているが、一事が万事この調子であることがお分かりいただけるはずである。◆…
このブログ(作成者は故人)は、例えば范曄の編纂経緯や取組み姿勢等に関する考察などが非常に的確で参考になるので、メモとして残しておきます。 なお、最終的な推測は当方とは真逆になっていたりします(今回の引用部分に対する当方見解は、引用の最後に「…
「後漢書は魏志に依拠している」という「通説」について、改めて過去の専門家の認識を調査しました。 その中で本記事では「三木太郎」氏の論考「中国文献上の倭国」に記された「後漢書」についての所見をご紹介。 当方感想を先に述べておきますと、「呆れ返…
魏志倭人伝と後漢書倭伝の特産品に関して「珠」を見てみると、 ◆魏志倭人伝:「真珠」2箇所・「白珠」1箇所 ◆後漢書:「白珠」1箇所 ⇒これは重要に思えて来ましたので検討。 ◆魏志倭人伝 (1)特産品:出真珠、青玉。其山有丹,其木有柟、杼、・・・ →この「真…
前回記事で久米雅雄氏の説を検討しましたが、著書の一節に以下の記述が有ります。 <「魏使が不彌国以遠には足を伸ばさなかった、或いは伸ばせなかった」> →これに対する当方見解は以下です ●魏使者: 魏の景初年間以降に、魏使者「梯儁」と軍事顧問団?「…
「久米雅雄」氏の説についても調べてみました。 著書:「新邪馬台国論ーー女王の鬼道と征服戦争--」 (歴史における政治と民衆 北山茂夫追悼日本史学論集 日本史論叢会) →国会図書館がデジタル化を始めており、これも含まれていました。 利用者登録は必要…
吉野ヶ里で新発見が有りました。 今後の詳細調査でどのように展開するかはまだ分かりませんが、発見に至る前の5月初めに倭面土国と九州の地名を結び付けた記事が出ていました。 中国歴史書に登場、最初の日本人「帥升」 弥生時代の吉野ケ里の王か 邪馬台国論…
「内藤湖南」氏と「白鳥庫吉」氏に関する解説例。 <邪馬台国論争については、白鳥庫吉の九州説に対して、内藤湖南は畿内説を主張し、激しい論争を戦わせた。「東の白鳥庫吉、西の内藤湖南」「実証学派の内藤湖南、文献学派の白鳥庫吉」と称された> →この両…
前回記事に引き続き、「卑弥呼考」の検討です。 ✖⑥湖南氏の范曄に対する評価が後段になるほど酷い →「卑弥呼考」より引用 ”後漢書には、 建武中元二年。倭奴國奉貢朝賀。使人自稱大夫。倭國之極南界也。光武賜以印綬。 安帝永初元年。倭國王帥升獻生口百六十…