邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B081) 『太平御覧』の韓伝「弁韓表記」

『太平御覧』の「三韓」で気が付いたことがありました。

「《後漢書》曰」としている箇所で、実際の范書と太平御覧、及び魏志の比較

◆『後漢書』:韓有三種:一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁辰

◆『太平御覧』:韓有三種,一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韓

◆『魏志』:有三種,一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韓

➡「三曰」が実際の『後漢書』では「弁辰」なのに、『太平御覧』では「弁韓」に変わっています。

魏志』は「弁韓」です。

推測としては、「弁辰」の方が古い呼称ではないか。

それで『後漢書』は「弁辰」、

一方で、例えば魏代以降では「弁韓」に変わったのではないか。

その結果として、『魏志』は「弁韓」になり、もっと後の時代の『太平御覧』も「弁韓」にしたのではないか。

➡これで辻褄が合いそうに思えます。

また、呼称が変わった理由としては、「馬・辰・弁」より「馬・辰・弁」で、「韓」で揃えるようになったのではないかと個人的に推測。

更に、『後漢書』は後漢代までの呼称「弁辰」を使用していることで、『魏志』参照ではなく、後漢書』は後漢代原史料を参照の事例になると推測。

 

以下に『太平御覧』・『後漢書』を示します。

 

 

以上