以下記事で韓伝の「国数」を検討しました。
(B028)三木太郎氏論考の検証2(韓伝の国数) - 邪馬台国「新証明」
→「翰苑」の魏略逸文にも国数が有るので、三書で改めて韓伝の国数比較。
<馬韓在西。其民土著,・・・散在山海間,無城郭。有爰襄國、牟水國、・・・莫盧國、卑離國、・・・臣蘇塗國、莫盧國、・・・乾馬國、楚離國,凡五十餘國。・・・
辰韓在馬韓之東,・・・始有六國,稍分爲十二國。弁辰亦十二國,>
→陳寿は「凡五十餘國」としてますが、実際の国名列記は「55国」です。
更に莫盧國の重複が有るので実質は馬韓「54国」。
辰韓12国、弁辰12国で計78国です。
<馬韓在西,有五十四國,其北與樂浪,南與倭接,辰韓在東,十有二國,其北與濊貊接。弁辰在辰韓之南,亦十有二國,其南亦與倭接。凡七十八國,>
→国名の列記無しで、馬韓は「五十四国」と「餘」を付けずに言い切っています。
そして「馬韓54国+辰韓12国+弁辰12国=78国」で全体の計算も合っています。
特に注目は、「魏志依拠」の通説に固執するなら、「魏志の55国名列記を詳細に見て重複を発見し、正しくは54国と把握した」ことになりますが、「そんなところまでやっただろうか?」という疑問が湧きます。(後漢代原史料を見ただけではないか)
③魏略 国数(翰苑...途中から後漢書)
<魏略日、三韓各有長師、其置官、大者名巨智、次口邑借、凡有小國五十六、惣十餘万戸、辰王治目支國、目支國置官、亦多日臣智、
後漢書云、大者万餘戸、小者数千家、各在山海間、皆古之辰國也、馬韓最大、共立其種爲辰王、治目支國、誰王三韓之地、其諸國王先、皆是馬韓種人焉、>
→「凡有小國五十六」となっています。
ただし、「三韓」の後に書かれているので、「馬韓」かどうかは明確では有りません。
また、仮に馬韓の国数とすると、三書は以下になります。
③魏略:国名列記も馬韓記載も無しで「五十六国」
➡三書三様で分りにくくなりました。
今後更に検討。
なお、今まで検討してきたことや直観を含めた現時点での当方見方
◆①と③は同一グループで似た原史料(Aとします)を参照したのではないか。
②は別の後漢代原史料(Bとします)を参照したのではないか。
そしてAとBを信頼性を比較すると、Bの方が信頼性が高かったのではないか。
以上
魏略 翰苑逸文
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