邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B035)後漢書倭伝と魏志倭人伝の「習俗等の記述順比較」2

後漢書魏志を参照して書かれた」という「通説」の場合に、どのような変更になるかを分かり易くするために、左側「魏志」・右側「後漢書」の配置の表も作成してみました。

並び順の交錯が多く、しかも文章が微妙に変わっている項目が殆どです。

これに「鉄鏃」有無なども加わります。

「范曄が修整した」と想定するのは、非現実的と思えます。

 

また、交錯だけでなく、「灰色網掛け」の項目は後漢書には有りません。

これをもっと考えてみるために、魏志の並びだけを分析してみます。

「灰色網掛け」項目の中から、下表で(25)(26)(27)を「C」としてみます。

(25)收租賦。有邸閣。國國有市,交易有無,使大倭監之。

(26)自女王國以北,特置一大率,檢察諸國,諸國畏憚之。常治伊都國,於國中有如刺史。

(27)王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國,及郡使倭國,皆臨津搜露,傳送文書賜遺之物詣女王,不得差錯。

➡(25)(26)(27)に分けたのは当方の便宜的なもので、「C」として一体に考えられると想定しています。

その上で、Cの記述は「新しい情報」ではないかと推察。

そこから、下表においては以下のように推測しています(表の右側にも同様内容記載)

1)「A」部は元々の「後漢代原史料」(「持衰」までの記述だった)

2)新しい情報Cが入った「B」も得られたので、陳寿が「持衰」の後に接続して追加したのではないか

3)AとBを接続すると、修整も必要になり、陳寿が実施したのではないか

「D」は同じような内容が何故かBの2箇所にあります。

また、先日も言及しましたが、<以硃丹塗其身體,如中國用粉也>は前後の文章と脈絡が無いと思われ、位置がおかしいと考えます。

<有屋室,父母兄弟臥息異處,以硃丹塗其身體,如中國用粉也。食飲用籩豆,手食>

→部屋の話と飲食の話に挟まれて、体に塗る赤い粉の話が有ります。

後漢書の並びは、衣服の話の後に有って違和感が無いと思います。

<衣如单被,贯頭而着之;并以丹硃坌身,如中國之用粉也。有城栅屋室。父母兄弟異處>

➡結果的に、陳寿が色々細工をした結果により、「魏志は記述順が雑然としている」ように見えると考えています。

一方で、「原史料は記述順が自然な並びだった」と想定してみます。

范曄は原史料に余り手を加えず引用したので、「後漢書は記述順が整然としている」と考えることが出来ます。

実際にも、原史料は後漢朝の史官らが作成したことが考えられ、記述順も基本的な整合性を持っていたことが想定できると思います。

総合すると、「原史料に忠実なのは後漢書の方」というのが、現時点における当方の論理的推測になります。

 

以上