桂川氏の詳しいサイトがります。
その中の重要な指摘。
<「単語レベルでは、極めてよく似る。だが文節単位では一つとして同じものはない」>
⇒『後漢書』倭伝と『魏志』倭人伝で、同じ対象の記述でも、殆どの文章が微妙に違うことには当方も気付いたのですが、桂川氏のように的確なまとめが出来ていませんでした。
また、当方は桂川氏とは独立に「魏志非依拠」にアプローチをしていたため、以下の図を作成して比較していました。
→両書で文章の違いだけでなく、記述順の違いがあります。
後漢書の方が、同じような内容はまとまって並んでいます。
それに対して魏志はバラバラに見えます。
その理由を推測してみます
◆元々の史料(後漢代原史料)の記述は、後漢書のように「持衰」までだったのではないか。
それに対して、魏代になって倭との交流が繰り返され、情報が増えたのを陳寿が「持衰」の後に追加した際に、単に追加だけだと記述の整理がつかないと感じて(良かれと思って)記述順を色々動かしたのではないか。
(上図では、仮に「魏志を参照して後漢書が書かれた場合」を想定して「魏志→後漢書」の配置になっていますが、実際は両書は独立と考えます)
➡魏代になって情報が増えたことは確実で、記載事項追加が発生したと考えられます。
その典型例が「産品(特産品)」の記述と想定しています。
桂川氏の列記は、以下のように後漢書との比較がし易い長さまで載せておられますが、実際の魏志倭人伝ではもっと産品が数多く記載されています。
桂川氏記載
実際の魏志倭人伝記載
(魏志 )出真珠、青玉。其山有丹,其木有柟、杼、豫樟、楺櫪、投橿、烏號、楓香,其竹篠簳、桃支。有薑、橘、椒、蘘荷,不知以為滋味。有獮猴、黑雉
➡これも「後漢書は魏志非依拠」の重要証拠の一つと考えています。
その理由は、後漢書四夷伝全体が「魏志非依拠」と考えられる中で、范曄が仮に割合がごく少ない「後漢書倭伝」だけを特別に魏志参照したとするなら、倭の特徴を表すのに適切と思われる魏志記載の特産品を、バッサリ削ったのでは辻褄が合わないという推察をしているためです。
以上