◆桂川氏の見解
→以下のように「パールではなく水晶の小玉」としています。
-----桂川氏書籍引用開始-----
(桂川光和.『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!Kindle版)
5 真珠ではなく白 珠。正しいのは『 後漢書』倭伝
倭国の特産品の一つについて次のように記す。
『魏志』 出真珠青玉其山有丹(当方注:実際は更に後に特産品が多数列挙)
『後漢書』出白珠青玉其山有丹(当方注:後漢書は「出」での記述はこの三種類)
真珠であればパールである。一方白珠であれば水晶の小玉である。・・・これはパールではなく水晶の小玉である。この時代天然真珠が有ったとしても、倭国の特産品として記されるほど産出するはずはない。水晶の小玉は倭国の数少ない特産品の一つである。その証拠に台与の献上品の中に白珠五千を見る。これは水晶の小玉である。・・・水晶加工品は鉄素材入手のための重要な交易品である。したがってこれは真珠ではなく白珠で『後漢書』倭伝の記述が正しいのである。
-----引用終了-----
➡ 一方、当方は以下のブログを書いていました。
◆当方の過去検討
”(B074) 「真珠」「真朱」「白珠」 について(暫定) 2023-06-10 ”
◆魏志倭人伝:「真珠」2箇所・「白珠」1箇所
◆後漢書:「白珠」1箇所
⇒これは重要に思えて来ましたので検討。
(1)特産品:出真珠、青玉。其山有丹,其木有柟、杼、・・・
→この「真珠」は「貝から採れる真珠」と想定
(2)詔書下賜品:銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤。・・・
→この「真珠」は「真朱」であり「水銀朱」
(3)台与献上品:貢白珠五千、孔青大句珠二枚、・・・
→この「白珠」は「貝から採れる真珠」と想定
◆後漢書倭伝
(4)特産品:出白珠、青玉。其山有丹土。
→この「白珠」も「貝から採れる真珠」
-----引用終了-----
➡ 桂川氏の見解にない部分として、魏志倭人伝の「特産品」と「詔書下賜品」で同じ「真珠」が出ていることに注目しています。
上記の当方ブログ引用の(2)で記したように、<この「真珠」は「真朱」であり「水銀朱」>と推測しています。
つまり、魏志倭人伝と後漢書倭伝ともに、特産品の書き出しは「出」で始まっていますが、直後に掲載の産品が”魏志:出「真珠」・後漢書:出「白珠」”ということで名称が違っています。
この特産品の解釈の仕方として2つ考えてみます。
●B: ”同上” は違う物
➡同じ倭の地の特産品として、両書に最初に書かれている物だから、本来は同じ物であるのが自然。
しかし、A「同じ物」なら「何故違う名称になっているのか?」という疑問が当然湧きます。
これを検討する際のキーポイントとして、当方は「陳寿の細工」を考えています。
つまり、後漢書の「白珠」の方が元の記述ですが、魏志では陳寿が「真珠」に修整したのではないか。
ただし、陳寿が修整した理由は検討していますが、まだまとまっていません(貝から採れる「真珠」か、桂川氏推測の「水晶の小玉」か、についても改めて検討中です)。
B「違う物」の場合は、「なぜ特産品の最初の品物が変わっているのか?」という疑問になります。特に、2番目「青玉」、3番目「丹」は同じですから、1番目だけ変える合理的理由は思い当たりません。
結果的にAだと考えると、変えたのは陳寿では?
当方検討は、今の所ここまでにしておきますが、「魏志非依拠」の認識が広まって、多くの人が今まで考えてなかった観点で検討してくれて、真相に迫れることを期待したいと思っています。
以上
[追記1]
上記で”「陳寿の細工」を考えている”と書きましたが、陳寿が実作業として細工を実行したかどうかについては判断が難しい面があります。
その理由は、陳寿は魏代に作成された先行史料を参照したと想定すると、その先行史料に既に細工が実施されていた可能性が考えられるからです。
ただし、その場合でも「後漢代原史料」と「魏代原史料」があったと想定すると、考えを整理し易いかも知れません。
ただその場合でも、後漢代原史料が「東観漢記→華嶠書」となって(袁宏や)范曄が「華嶠書」を参照したとすると、”華嶠が書き直して西晋代に出来上がった史書(漢後書)を「後漢代原史料」と呼ぶと混乱しないか?”という課題が発生します。
非常にややこしいです><
[追記2]
追記以上
以上