邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B074) 「真珠」「真朱」「白珠」 について(暫定)

魏志倭人伝後漢書倭伝の特産品に関して「珠」を見てみると、

魏志倭人伝:「真珠」2箇所・「白珠」1箇所

後漢書:「白珠」1箇所

⇒これは重要に思えて来ましたので検討。

魏志倭人伝

(1)特産品:出真珠、青玉。其山有丹,其木有柟、杼、・・・

→この「真珠」は「貝から採れる真珠」と想定

(2)詔書下賜品:銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤。・・・

→この「真珠」は「真朱」であり「水銀朱」

(3)台与献上品:貢白珠五千、孔青大句珠二枚、・・

→この「白珠」は「貝から採れる真珠」と想定

後漢書倭伝

(4)特産品:出白珠、青玉。其山有丹土。

→この「白珠」も「貝から採れる真珠」

 

➡上記の(1)~(4)の検討で参考にしたサイト2種類を引用します。

「白珠」は「真珠」の古い呼び方の可能性がある

根拠サイト【宝石学の世界】真珠の古語、白玉 VS 白珠

白玉(しらたま)とは真珠の古語である。万葉集山上憶良が詠んだ歌では、
我が子を真珠に例えて慈しむ気持ちを表している。・・・

しかし念のためと思って後から資料にあたると、肥前風土記延喜式神名帳には白珠と記されている事が分かり、頑迷なる思いこみを反省した次第。

いずれにせよ、使用頻度と出現の古さから白玉が正統表記という認識を私は持って
いるが白珠としても間違いとは言えないだろう>

魏志詔書下賜品(2)の真珠は「真朱」と考えられる(「真朱」は「水銀朱」であり貝から採れる「真珠」ではない)
根拠サイト卑弥呼の真珠(朱)と鉛丹 - よもやまばなし

<『魏志倭人伝』中の記述で、(魏皇帝からの下賜品で)鏡に続いて記されている品が、この「真珠鉛丹各五十斤」なのである。

 文面その他から真珠は真朱と考えられている。真朱は水銀朱、鉛丹は、字のごとく鉛の化合物である赤色顔料なのである。贈り物の中で、鏡ばかりが注目されて、少々不公平な気もするのだが・・・・とはいえ水銀朱は、古墳などから大量に発見される例もあり、わが国での産出もあって、各地で使用されているので、鏡のように検討はしにくいということもある。

 鉛丹は現在まで、古墳時代にわが国での使用はまったくわかっていない。またわが国での天然の産出も、無いに等しいということである。ただ法隆寺の壁画などには用いられ、東大寺で、大仏製作時などには、鉛を焼いて丹を作っている。正倉院にも、鉛丹は収納されている。中国では古代以来、水銀朱ともども薬用などにも利用されている。>

更に補足説明

●「真朱」<天然の硫化水銀原鉱から作られた顔料の、ややくすんだ朱色。中国湖南省の辰州産の朱が有名で辰砂とも呼ばれた。日本でも、縄文時代から発掘されていた>

●「鉛丹」<鉛に硫黄・硝石を加えて、焼いて製したもの。鉛の酸化物で鉛丹ともいう。黄色を帯びた赤色で、絵の具とし、また、薬用とする>

 

➡考察(暫定)

(ⅰ)范曄が見た原史料には「白珠」となっていて、そのまま引用したのではないか。

→上記①にあるように「白珠」が「真珠」の古語とするならば、後漢代には「白珠」の方が主に使われていたと推測して行くと、時代的な辻褄が合いそう。

そうなると、「范曄は後漢代原史料を、ほぼそのまま使用」の可能性を示す証拠の一つとなって、魏志非依拠説の補強に使えそうにも思えて来ました。

(ⅱ)陳寿は「証書の下賜品」に「真珠」(真朱:水銀朱)があったのに、特産品の方を「真珠」に直したのだろうか。

→下賜品は「真珠、鉛丹各五十斤」と「真珠と鉛丹」が並んでいるのがポイントで、この二つは同系統の物と考えられます。そのため、この箇所の「真珠」は「真朱:水銀朱」で間違いないと思われます。

しかし、そうなると「貝から採れる真珠」と「真朱の意味の真珠」が同じ真珠で別物を表すことになります。

陳寿はどう考えていたか。

(ⅲ)台与献上品の「白珠」は「貝から採れる真珠」のことで、後漢書の「白珠」と同じと推定できます

→この推定通りとすると、魏志の中では前項(ⅱ)と併せて二つの混乱

●同じ「真珠」という語句で、(1)「貝から採れる真珠」と(2)「真朱の意味の真珠」の2種類が書かれていることになります

( (1)と(2)は冒頭の項目番号、以下同)

●「真珠」(1)と「白珠」(3)は、語句は2種類ですが、両方とも「貝から採れる真珠」で同じということになります

➡書いている内に、こちらも混乱して分からなくなってきました(苦笑)
ここまでの暫定考察として、今後どこかの時点で再度考察。

以上