邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B091) 桂川氏見解検討7「卑弥呼と宗教に関して」

桂川氏「『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!」

-----引用開始-----

10「鬼道」ではなく「鬼神道

・・・
論者の多くが「鬼道」の語句から卑弥呼は神や霊と交信するシャーマンであるとする説がある。しかし『後漢書』倭伝は「鬼神道」である。「鬼神道」であれば「異教」くらいの意味である。古代政治において、神に祈ったり占いによる神の意志を知る事が重要なことであった。いわゆる祭政一致である。為政者である卑弥呼がこの祭政一致の体現者であったとすれば、必ずしもシャーマンとは言えない。

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桂川氏見解を抜き出してみます。

■見解1:(後漢書の)「鬼神道」であれば「異教」くらいの意味

→これは賛同。

■見解2:為政者である卑弥呼がこの祭政一致の体現者であったとすれば、必ずしもシャーマンとは言えない。

→こちらは、卑弥呼が「祭政一致の体現者」とするのは個人的に違和感が有ります。

桂川氏は、魏志後漢書の記述比較で、以下のように並べています(赤太字化は当方)。

魏志 )有男弟佐治国自為王以来少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飲食伝辞出入居処宮室楼観城柵厳設常有人持兵守衛
後漢書)侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衛法俗嚴峻

魏志には「有男弟佐治国」がありますが、後漢書にはありません。この相違は、邪馬台国論議の中では言及されることは少ないと感じますが、もっと重視すべきと考えています。

例えば、「姉弟卑弥呼と男弟)」で、「祭政」を行った場合、それを祭政一致と呼ぶかどうか。一族で祭政共に行っていることにはなるでしょうが、「祭」のトップ(卑弥呼)と政のトップ(男弟)とは別人になります。

また、そもそも「有男弟佐治国」の状態は、共立と同時には発生しないのではないか、という課題もあります。というのは、仮に共立が部族国家の協議で合意されたものとすれば、共立時には有力部族の長老らの合議制だった可能性もあるでしょう。

ただし、これに関しては桂川氏は以下引用のように、「倭国大乱は内乱」との見解を示されています。当方は率直に言って、「国同士の戦い」の方を支持。これについては記事を改めて記します。

-----引用開始-----

倭国乱は王位をめぐる内乱

・・・『魏志倭人伝』のみから論じる論者は、この戦いを国同士の戦いとする。国同士の戦いなら、たとえ和解が成立したとしても共通の王を擁立するこのなどあり得ない。共通の王を擁立できたのは、同じ王権の中の戦い、すなわち内乱であったからである。

-----引用終了-----

 

➡結果的には、「後漢書魏志非依拠」に認識を変えた上で、後漢書魏志の違い(例えば「男弟佐治国」の有無)の意味合いなどを、多くの人が参加して吟味して行くことが望ましいと思われます。

 

以上