邪馬台国「新証明」

古代史を趣味で研究しているペンネーム「古代史郎」(古代を知ろう!)です。電子系技術者としての経験を活かして確実性重視での「新証明」を目指します。

(B092)桂川氏見解検討7「倭国(大)乱について」

桂川氏「『後漢書』倭伝読まずして邪馬台国を語るな!」

-----引用開始----

9 邪馬台国の歴史は誰の認識か

後漢書』倭伝は、倭国大乱の時期について桓霊間と記す。桓霊の間とは桓帝霊帝の間で146年から189年の事とされる。また『梁書』は「霊帝光和年中」すなわち178年から184年の事とする。『梁書』の記述に疑問を持つ論者もあるが、梁書』が、何の根拠もなくこの記述を成したとも思われないので、倭国乱とはおおよそ二世紀の後半、中ごろに起きた王位をめぐる内乱である。

-----引用終了-----

→ ”『梁書』の記述は根拠が有るはず=信頼性がある”という見方は賛同。

魏志依拠」と「魏志非依拠」の関連としては、「魏志依拠」の場合は魏志を参照して後漢書を書いたことになるので、対比表を作成しました。

→検討手法の違いとして、桂川氏は以下のようにして魏志後漢書を文章ごとに対比しておられます。

魏志  ) 倭国乱相攻伐歴年
後漢書) 桓霊間倭國大亂更相攻伐歴年無主

→これにより、「両書は単語レベルではよく似るが、まったく同じ文章は存在しない」という特徴を指摘しておられます。

一方、当方手法は上掲表のように、並び順も重視しているところに特色があるかも知れません。前半部の並びでも、同様内容の記述順が両書で以下のように異なります。

魏志 :④⑤⑥

後漢書②④⑥⑤

→この部分は微妙な語句の違いも含めて色々考察が出来るのですが、例として③の位置を考えてみます。

魏志の場合は、乱の記述の後に、すぐ「女王共立」の記述が有り、その後に卑弥呼の説明があります。しかし、後漢書では、卑弥呼についての説明があった後に、「共立」の記述になります。

何が違うのか?ということになりますが、私的な文章読解では、後漢書の方は「物語性」を感じます。それに対して、魏志の方はいきなり「共立」があって「実務的」?

他にも解釈の仕方は、読む人それぞれの感性にも依って来ると思うので、色々考えられるでしょうが、少なくともこの並び順の違いは意味のないものとは思えません。

その場合、魏志依拠説で魏志を参照して後漢書を作成したとするなら、范曄はどのような意図を持って並び順を変えたのか、という点が課題になります。

当方推測では、魏志依拠説では説明しにくくて、後漢書の方が元々の後漢代原史料を殆ど忠実に書き写したのではないか=魏志非依拠、と考えます。

 

また、並び順の違いは、◆魏志:⑨⑩と◆後漢書⑩⑨も有ります。

一見余り意味が有る違いには見えませんが、何らかの意味は有り得るようにも思います。今後検討予定です。

このように「魏志非依拠」で考えることが広がります。

なお、「二世紀後半」などの時系列面も重要と想定していますので、次記事で検討。

以上