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『後漢書』東夷伝の中でもとくに『倭伝』はデキが悪く、范曄が手がけたと思われる本紀や主要な列伝とは雲泥の差がある。『後漢書』東夷伝を担当したのは歴史文筆の基本を習熟した人間ではなく、范曄が助手か部下に書かせた節がある。そのデキの悪さからは范曄が校閲した形跡はうかがえないし(その余裕もなかったと思われる)、『後漢書』東夷伝の記録の中で『三国志』東夷伝との文字違い・意味違い・異同などは、すべて『後漢書』東夷伝の間違いと断定できる。そんな『後漢書』東夷伝の「間違いの部分」を無批判に正しいとの前提で語ったとしても、私はいかほどの説得力も感じないものである。
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⇒”『後漢書」東夷伝は『魏志』東夷伝に依拠”との趣旨と思いますが、それは容易に否定の証明を行うことができます。
高句麗伝が分かり易いので両書の大きな相違点と比較表を以下に示します。
■両書の大きな相違点①:年号
◆「宮」在位時に後漢書には年号入り記述が4カ所あるが、
魏志には一つもない
■両書の大きな相違点②:高句麗王継承
◆魏志 「宮」⇒「伯固」(魏志には「遂成」なし)
◆後漢書 「宮」⇒「遂成」(証書あり)⇒「伯固」
(表の右下方の相違点③は、「魏」と「後漢」の年代に由来し、相違あっても妥当)
➡当方は「後漢書は魏志依拠」という誤った「通説」が、邪馬台国論議の根底に有って悪影響を及ぼしているので、是正したいと考えています。
ただ、それをどのように説明するかが、なかなか難問です。
まず、整理のために通説の主張する範囲を分けてみます。
⇒これは思ったより厄介な違いです。
というのは「通説」の支持者に、誤りを示すと、最初は簡潔に①を言っていた人でも、何とか通説を維持し続けようとして、①⇒②⇒③と適用範囲を縮小して行く場合があります(苦笑)
それに対応するために、今回改めて高句麗伝の例を出してみました。
更に高句麗伝以外の東夷諸国伝も、「後漢書には魏志に無い年号入り記事が複数ある」という明確な相違で、魏志依拠を否定できます。
結果として、論理的に見ると、②と①が同時に否定されます。
ここまででも、認識して頂ける方が、どれぐらいおられるかが、どうも読めなくて、
なかなか難しい状況です。
なお、①②の否定を認識して貰えれば、③についても以下などで否定の証明ができます。
●後漢書の57年107年遣使記事
●鉄鏃の有無
etc
③の否定の証拠は、まだ沢山あるのですが、曖昧さを含むのが課題。
それで、どうしても「通説」を維持したい人は③に立て籠って、色々な無理筋の主張を持ち出して来る可能性が有りそうです><
以上