要点は表を見て頂くと「A儀鳳暦とB元嘉暦が途中(5世紀のどこか?)で切替わっている」という事実です。
引用中でも述べられているように、7世紀に唐で作られた新しい暦法である「A儀鳳暦」の方が、古い時期である「神武天皇から5世紀の途中」までの記述に用いられている逆転現象。
これは、古い時代の現実離れした長い天皇在位年数は、日本書紀作成に当たって実態とは違う時系列に作り直した結果である証拠になると推察します。
ーーーーー引用開始ーーーーー
『日本書紀』は神武天皇の時代から儀鳳暦によって暦日を記述しており、5世紀以降は元嘉暦に切り替わっている。しかし、儀鳳暦は7世紀に唐で作られた新しい暦であり、日本にもたらされたのは持統天皇代であるのに対し、元嘉暦は5世紀に作られた古い暦であり、時代の新旧が逆転している。このことから、『日本書紀』の暦日は古い時代、5世紀前半以前の時代のものは『日本書紀』編纂時に最新の暦であった儀鳳暦を使って推算したものであることが明らかとなっている。
小川清彦が作表した『日本書紀』の暦日と、元嘉暦、儀鳳暦の暦日を示す表を元に、暦法の切り替わりを示す箇所を抽出したものを以下に示す。
この表に示される通り、垂仁23年、履中5年、欽明31年4月の「閏」字が筆写時に脱落したものと仮定した場合、4世紀頃以前の月朔の干支は儀鳳暦に、5世紀頃以降のそれは元嘉暦に一致する。
当時既に『日本書紀』が指し示す紀年が古い時代において信用に足らないことは理解されていたが、儀鳳暦・元嘉暦を用いた小川の推算値と『日本書紀』記載の暦日は比較的高い一致を示した。年代が疑わしいものであるにもかかわらず、暦日の月朔がその疑わしい年代と良く合致することは、『日本書紀』の月朔が同時代史料の記載にあったものを写したのではなく、後世に設定された紀年に合わせて計算されたものであることを意味する。
ーーーーー引用終了ーーーーー
結果的に、4世紀の日本書紀記述の時系列は細工(創作?)が行われていることが確実でしょう。
前記事(020)の追記で当方の推測を以下のように記載しました。
4世紀から細工されていたと想定すると、まさに神功皇后の時代に当たります。
代数や時系列が細工された結果で、平均在位年数が伸びている可能性が有るのではないかと考えます。
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(前記時追記より引用)