「中国哲学書電子化計画」のサイトで、「後漢紀」において「烏桓」を検索すると、「桓」が以下の別字体になっている箇所が出て来ます。この字体についてhyenaさんに教えて頂いたのでメモ。
hyenaさん談<桓の最後の「一」が書けているのは避諱欠画と言って、天子や貴人の名を書く場合は他の字に差し替えたり、同じ字でも最後の画を省くという慣例によるものです。裴世清を裴清と書くのは唐の李世民の「世」字を憚ったものと言われます。欠画は書影原文を見ていると時々出てきます。>
➡更に後漢の「天子」では「桓帝」に対する「避諱」ですか?とお聞きしたところ、「帝号ではなく本名」に対してなので、「桓帝に対してではない」とのこと。
同<帝号ではなく本名ですね。編纂当代の王朝の天子などが対象となるんではないかと。唐の太宗の李世民は本名(諱)で天子の本名を口にすることは憚られたんですね。ですから、「桓」の欠画は編纂時か刊刻時の貴人の諱が該当するんだと思います。・・・>
➡これについて調べてみたら、例えば以下の論文が有りました。
論文抜粋<桓帝劉志の諱を避けた諱訓による避諱で「志伯」が「意伯」>
開母廟石闕銘の避諱に関する一考察 (jst.go.jp) 早川桂央
➡たしかに「桓帝」の「避諱」ではないことになります。
当方は、「魏志:烏丸・後漢書:烏桓」になっていることに、以前から関心が有ります。
「なぜ違うのか?」が両書の「史料系統」に関係してくる可能性があると考えているためです。
しかし、ネットでも以下例のように「烏桓: 烏丸とも記す」のような説明ばかり。
マイペディア <「烏桓」: 烏丸とも記す。東部モンゴリアにいた古代遊牧民族。東胡の後身,主として漢代に活躍。3世紀初め魏に征服され,その勢力も倒壊。>
→なぜ専門家がもっと突っ込んで検討しないのか不可解なのですが、今回の「桓」の別字体により「一画が無いので桓の避諱欠画が行われている」ということが分かり易くなりました。
それが進むと字体だけでなく字も変えて、”「烏桓⇒烏丸」になったのではないか?”と推測したのですが、以下が不明。継続検討。
以上
[参考]
調べてみると、呼び方自体も色々有って、やはり難しいです。
●避諱(ひき)
wiki<避諱(ひき)とは、君主や目上の者の諱の使用を忌避する慣習である。中国など東アジアの漢字文化圏にみられる。二字名の場合にどちらか一字を忌避することを偏諱(へんき)という。>
●敬諱(けいひ)
中国に、自分の名前に使われている文字が皇帝の名前に使われている文字と同じ場合に、その字を避けて、違う... | レファレンス協同データベース
●諱(いみな)
wiki<諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。「忌み名」とも表記される。>
参考以上