本紀の検討において「詔」に着目しています。
今回は本紀における「詔曰」の出現回数について、「明帝」本紀の一部分を対象として、「後漢書」と「後漢紀」で比較してみました。
比較表を添付しますが、先に比較分析結果を示します
■「明帝」の本紀冒頭部における「詔曰」(「三公曰」含む)の出現回数比較(中元二年(57年)二月~永平三年(60年)六月の約三年強の期間)
(1)後漢書:5箇所
(2)後漢紀:1箇所
➡たまたま対象にした本紀の一部での比較になりますが、別途全体的に眺めてみても、後漢書の方が「詔」の採録が多い傾向があると見えます。
この理由については、明確な結論は当方として、まだ得られていませんが、「後漢書は後漢代原史料を忠実に引用しているのではないか」という気がしています。
一方で、通説的には、このような見方が有ります。
P109<鳥桓に関するまとまった記述は、王沈『魏書』→『三国志』烏丸鮮卑東夷伝
→『後漢書』烏桓鮮卑列伝と時代が降るほど詳細になっており、一般的にいえば、後代の記述ほど信用できないということになりかねないわけだが、鳥桓に関する限り、『後漢書』の記述はそれ以前の断片的な材料とよく適合しているというべきである>
➡「後漢書は成立年代が一番後だから」という発想を変える必要があると思われます。
(「明帝」本紀冒頭の比較を、画像化する都合上で3頁にして以下に示します)
以上