東夷の記述は、東夷伝だけでなく、対応する記述が本紀にもあります。
それで、後漢書の「夫餘」と「高句麗」について、本紀と東夷伝の比較実施しました。
表を以下に添付しますが、単純ですが重要なことが分かりました。
◆「本紀」は季節や月も入っている場合が多く、東夷伝の記事はそれが入っていない場合が多いので、東夷伝の記事を見ても「本紀」は書けない
➡これは「魏志非依拠」の簡潔で確実な証拠になる気がしています。(他にも影響が有りそうに思われるので後述)
派生効果として、「東夷伝が有ったか?」の論議などにも影響しそうです。
例えば「佐伯有清」氏は以下添付のように「魏書にも東夷伝が有ったとみなすべき」という見解。
しかし、まず「後漢書の夫餘伝や高句麗伝の本紀や東夷伝記事が書ける詳細な史料が有った」という事実から考えるべきと思います。
後漢書の東夷伝記事は殆どが霊帝頃までなので、後漢代に記録された史料と考えられます。
それが今まで考えてきた「後漢代原史料」に相当して来ます。
有力候補は「東観漢記」ですが、東観漢記かどうかは一旦置いておいても、范曄が5世紀にその「後漢代原史料」を見れたので、後漢書四夷伝が書けたことになるでしょう(多分袁宏も同様のものを見ている)。
また後漢代より後の魏代の史書「魏書・魏略・魏志」等も、全く同じものかどうかは別にして、「後漢代原史料」を参照できたことになります。
なお、夫餘や高句麗の後漢書記述は、年代入りの記事が上掲のように多数あります。
その状況において、各国の概要も記録しているのは史官らの当然の作業になります。
結果的に、「後漢代には、後漢書の東夷伝、あるいは東夷伝が書けるだけの情報が入った史料=後漢代原史料が有った」のは確実です。
以上