「太伯と大夫」についても2020年に着目し始めた点です(当時は通説的な「魏略ベース」前提で考えていました)
これについて東洋学者の「橋本増吉」博士(1880年 - 1956年)がずっと前に示唆を与えてくれていました。
まとめてみると、橋本博士は以下指摘。
(1)陳寿の記述は「二つ或いは三つ」の史料をつなぎ合わせたもの
(2)魏略の方が文意が首尾一貫している(=文脈に無理が無い)
(3)陳寿の接合の手順が拙劣(=文脈に無理が発生している)
⇒当方も同様の印象を持ちます。
また上掲引用で、橋本博士は「陳寿は『自古以來,其使詣中國,皆自稱大夫』を他の史料によって挿入した」と指摘されています(実際は挿入だけでなく削除も行っていて文章の入れ替え)。
挿入された文章に該当する他史料記述として、後漢書の西暦57年倭奴国遣使記事があります。
こちらは文脈に無理が有りません。
結果的に、「陳寿が別の史料の文章と入れ替えた」ために、魏志倭人伝の当該文章は橋本博士指摘のように文脈に無理が出ていると推察します。
これは、「范曄ではなく、陳寿の方が改変(ここでは文章入れ替え)を行った」という証拠の一つになります(ただし、これは「状況証拠」になるかも知れませんが)
「陳寿の文章をそのまま読むべき」とする論者もおられましたが、「後漢書は魏志の要約ではない」ことと「両書の相違部分に陳寿の改変が有る」ことが明らかになり、魏志倭人伝の文章の見直しが必要になると思われます。
以上