(20)見大人所敬,但搏手以當跪拜。
→貴人に拝謁するとき、尊敬を表すにはただただ拍手し、両膝を床につけて丁重に拝礼しなければならない。
(28)下戶與大人相逢道路,逡巡入草。傳辭說事,或蹲或跪,兩手據地,爲之恭敬。對應聲曰噫,比如然諾。
→庶民が貴人と道路で出会ったときは、進むのをやめ、草むらに身を隠す。
言葉を伝達したり、事柄を説明するにあたり、(身分の低い方の人は)跪いたり、しゃがんだりして両手を地面につける。これにより恭敬を表す。返事の声は「イ」と言い、承諾の意にあたる。
◆後漢書倭伝
⑮以蹲踞為恭敬。
→蹲踞の姿勢で恭敬を表す
参考:姿勢の写真例
魏志倭人伝をそのまま読む サイトより
(別のサイトの写真)
「考察」
(ア)魏志倭人伝には「大人」に対応する時の記述が2箇所に有ります。
→No(20)と(28)で、両方の文章に「大人」が入っています。
なぜ2箇所に有るのか不可解。
しいて考えるなら、(20)にある「拍手」を残したかったとか? ⇒今でも神社参拝時の「二礼二拍手一礼」などがあります
(イ)後漢書の⑮とは、No(20)と(28)のどちらが対応するか?
→⑮と(28)には「恭敬」という語句が入っているので、これが対応するかと一旦考えましたが、(28)は文章が長いです。
それで⑮とNo(20)が対応するのではないかと考えて、表を修整しました。
下表で「水色太線」になっているのが、新たに(20)に対応させた箇所です(この線の左端は、前は一番下の(28)につないでいました))
(ウ)No(20)からNo(28)に変更して気付いたこと
→魏志倭人伝の習俗記述の最終部(24)~(28)に対応する記述が、後漢書には無いように見えます。
范曄が最後の方は魏代に追加された情報として削除した??? ⇒陳書成立から約150年後の范曄が、そのようなことが出来たとは個人的には思えません
(エ)陳書に有る「搏手」(拍手)が後漢書に無し
→冒頭の記載の3項目を順番を変えて再掲します
陳書:(20)見大人所敬,但搏手以當跪拜。
范書:⑮以蹲踞為恭敬。
陳書:(28)下戶與大人相逢道路,逡巡入草。傳辭說事,或蹲或跪,兩手據地,爲之恭敬。對應聲曰噫,比如然諾。
⇒それ以外にも相違点が有りますが、仮に(20)と(28)と組み合わせても⑮とは違いが有りそうに思われます。
例えば(20)には、⑮にある「蹲踞」が無く、しかし「跪拝」が有ります。
一方で、(28)には「或蹲或跪」で「蹲」はありますが、後漢書の⑮「蹲踞」とは同じにはなっていません。
范曄が修整して⑮にした、というのは考えにくいのではないかと思います。
ここでも、「後漢書は魏志依拠」の通説の綻びが見えているようです。
なお、「對應聲曰噫,比如然諾」は時々取り上げられているのを見ますが、魏代の新情報ではないかと思います。
以上
[補足]
全般的なことで、当方で「魏代」としている場合は、陳寿が三国志を作成した晋代のことも含んでいます。
ただし、陳寿はなるべく多くの情報を倭人伝に入れようとしているようにも見えるので、晋代情報まで含んでいるかも知れないという趣旨です。
具体的に「どれが晋代情報か?」などは未検討・未把握です。
話は変わって、「恭敬」の姿勢の別図です。
補足以上