前記事で「有男弟佐治國」は、統治体制の記述になると考えて以下の考察を行いました。
●卑弥呼が祭祀のトップで、男弟が政治のトップでは、その一族に権力が集中しすぎるので、当初は各部族(国)の有力者による合議制などが想定され、「男弟佐治國」にはなりにくいのではないか
●但し、共立から時間が経つと権力集中が起きるのは自然な流れと考えられるが、権力が集中して行く過程には或る程度の時間がかかると推測
●一方で、後漢書は「有男弟佐治國」が無いので、共立から近い時期の状況ではないか。
➡魏志と後漢書の記述姿勢が異なるように思えるので、「魏志は長期スパンでの統治の時系列を記述している」という仮説を持ちました。
記述を分解してみてみます。
(1)「其國本亦以男子爲王,住七八十年」
→「(大)乱に至るまでの期間」の説明
(2)(大)乱と卑弥呼共立
(3)魏志「年已長大,無夫婿,有男弟佐治國。自爲王以來...」
→卑弥呼共立から時間が経った頃の状況と想定して「魏代」と推測
➡結果的に陳寿は後漢書とは違って、「倭の統治の時系列」を記すことを意図したのではないか(仮説)
このようなことを踏まえて、魏志と後漢書の記述における「時代」を見てみます
表にしてみて改めて思ったこと
●「其國本亦以男子爲王,住七八十年」は、「時代が分かりにくい悪文」と以前から感じていて、その感覚自体は変わりませんが、「時系列記述の意図がある」と考えると少し理解しやすくなるかも知れません。
●「年已長大」をどう解釈するか?
→「歳すでに長大」と考えて良いか?(「已」は「すでに」で良いか?)
「すでに長大」だと、共立から時間が経っていることになり、魏代と推測。
一方、後漢書の「年長不嫁」は「共立時」と考えてみています。
●「自爲王以來」は、いつ頃のことを指しているのか?
→「以来」は「共立以来」となり、共立からどれぐらいの時間が経っている時点を指しているのか?
上表では魏代と考えてみました。
➡この仮説は今後更に検討。
以上
また、「自爲王以來,少有見者。」となっているが、これはいつの状況か?を考えると、魏代ではないか。